二人を乗せた脱出ポッドは、赤色の星間ガスの合間に浮かぶ大きな四角錘体の構造物に、ゆっくりと近づきつつあった。
少し前、ホーリィはポッドの内部に備えてあった常備薬キットの中から、精神安定カプセルを選び出すと、それをヴェルに与えた。今、ヴェルは落ち着きを取り戻しつつあったが、急激な精神状態の移行による反動からか、ややぼんやりとした表情を浮かべていた。
「姿勢制御を試みたんだがね。まるで吸い寄せられるように、どうしても近くに寄っていってしまう。」
「あら、そう。」ヴェルは気だるそうな声を出してさらに続けた。「さっき最後に言った古代船バラムって?」
「何日か前、凄い速度の飛行体が観測されたってニュース、見るか聞くかしなかったかね?」
「それが、古代船バラムなの?あなたの任務は、それに関係してるのかしら?」
「いや、仕事じゃないよ。でも、そいつに用があるのは確かだよ。」
ヴェルは茫とした目で、窓の外の大きな四角錘を見つめながら言った。
「でも、あれは飛んできたものじゃないと思うわ。ずっと大昔からここにあったものじゃないかしら?」
ホーリィは、ヴェルを見つめて言った。
「今度は君の方が説明する番だな。海賊城とか言ってたね。それはなんだい?」
ヴェルはホーリィの方に向き直った。緑色の瞳が宇宙の光を冷たく反射していた。
「さまよえる海賊城。ラヴァクの人間なら誰でも知ってる、恐ろしい昔話の舞台だわ。昔々、キャトの時代よりももっと遥かの大昔、一人の海賊がいた。彼は他の海賊を率いる賊長で、その日も一稼ぎした後、隠れ家に戻る帰り道で海賊海流にさしかかったの。そこで彼の船は出会ったのよ、海流の底から見上げるように見つめ返してくる二つの瞳に。そして彼の船がひきよせられるようにたどり着いたのが、三角形をした、宇宙を漂流する大きな建物だったの。ちょうど今のわたしたちのようにね。」
ヴェルはもう一度、目を窓の転じて、すぐそこまで近づいた巨大構造物を見やった。
「それは、宇宙空間にありながら太古の遺跡のようでもあった、とその昔話では語られているわ。大きな石で積み上げられた幾何学的構造物。まさに、そっくりね。」
「で、その海賊さんは、どうなったんだい?」
「彼らはそこに上陸したわ。海賊の気質よね、彼らはどんなときでも豪胆で恐れを知らない、でもそれが悲劇の始まりだった。彼らがそこに入り込むと、入り口が閉じられて、そのまま閉じ込められてしまったの。その後、彼の手下のうちの十人が死んだ。姿の見えない者がカトラスを持って現れ、十人を切り刻んだ、と昔話は言っているわ。次に死んだのは、さらに十人の手下たち。最初死んだ十人が現れて、仲間をもう十人切り刻んだと。それから、次は二十人の死んだ仲間が現れて…。最後にはとうとう彼一人が残ったと。」
「それから?」
「彼が最後にたどり着いたのは『言葉の間』だと言われているわ。四方の壁や柱に不思議な文字が刻まれた広い広間よ。彼はそこで死者の群れに囲まれたの。これまで亡くなった肉親や仲間、さっき死んだばかりの手下や今まで殺した相手とか、どれも知ってる顔ばかりだったそうよ。死者たちは彼の手足を押さえつけ、彼が死なないように注意しながら、全身の皮を…。ごめん、ホーリィ、この先は言いたくないわ。ともかく彼は全てをばらばらに切り刻まれて最後に魂だけがそこに残ったの。そしてその魂は永遠にそこに縛り付けられたままになったと言うわ。それ以来、彼はその城の主として、仲間を増やすために海賊海流を永遠にさまよっているのよ。」
ホーリィはまるで子供をあやすようにヴェルの頭の上に手を乗せて言った。
「たしかに怖い話だね、ヴェル。でも所詮は作り話に思えるな。その話が本当なら、彼らは全滅したはずで、誰も彼らの話をこっちの世界に伝えることができないだろ?」
ヴェルはしばらく黙り込んで、それから言った。
「理屈は確かにその通りね、ホーリィ。多分このお話はラヴァク人の遺伝子に刷り込まれているお話なんだわ。でも、それならあなたも、もう少し怖がるべきね。キャト・アクティアの血が流れているはずなのに。」
「キャトは海賊だったかもしれないが、ラヴァク人じゃあなかったのかも?まあどっちにせよ、あれが古代船バラムなのか海賊城なのかは、もうすぐ分かるさ。」
ヴェルはホーリィを見据えて言った。
「信じられない。あなた、まさか上陸する気?」
ホーリィは思わずにやりと笑って答えた。
「遺伝子に刷り込まれてるといえば、ヴェル。どうもあの建物は俺の探求者としての遺伝子を騒がせるんだよ。」
ごんっといった鈍い揺れが、脱出ポッドが巨大構造物に接岸したことを告げた。
その遠く背後に、別の船の影が現れたことを、この時ホーリィもヴェルも気が付かなかった。
***
大きな石が積み上げられて作られた階段状の壁面に、金属ケースを抱えたホーリィとそれを追っかけるヴェルの姿があった。彼らは気密スーツの手足に仕込まれたスラスターを噴射しながら、無重力の海を泳ぐように進んで行った。
「ここに来るのは気が進まないんじゃなかったのかい?しかも遺伝子レベルで。」
ホーリィが気密メットのインカムマイクに向かって言うと、スピーカーからヴェルの声が返ってきた。
「怖いわよ。だから、カプセルをもうひとつ飲んできたわ。」
「無理しないで、脱出ポッドで待ってたほうがいいんじゃ?」
「こんなところで一人ぼっちにされたら、医療キットのカプセルだけじゃ足りないわ。」
ヴェルはそう言いながら、スラスターの調整を微妙に誤った。つんのめりそうになるヴェルをホーリィが支えた。
「ありがとう。ところで入り口はどこなのかしら?このスーツ内の生存用空気は2時間ほどしかもたないわよ、ホーリィ。」
「ああ、そうそう。それを聞かなきゃと思ってたんだよ、ヴェル。了解、2時間だね。」
ホーリィは、ヴェルの姿勢を立て直してやりながら、ケイに話しかけた。
「聞こえたかね、ケイ。2時間でここまで来てくれないと、どのみち大変なことになるんだが。」
まだ、遥か彼方の宇宙空間にいるケイの声が、中継機用に調整した脱出ポッドの通信装置を経由してホーリィの耳に届いた。
「分かりましたよ、ホーリィ。1時間32分でそこに到達できるでしょう。ところで、2秒ほどの通信ラグがありますね。緊急時の通信には気をつけてください。」
「了解したよ、ケイ。おっと、あれが玄関口かな。」
ホーリィが見つけたのは、斜面に穿たれた縦に長いアーチ型の大きな開口部だった。開口部の床は石畳で覆われたており、そのまま艀のように少しばかり突き出していた。ホーリィがその石畳の上まで移動すると、急にすとんと落ちた。
「驚いたな。この床には重力が利いてるらしい。おいで、ヴェル。」
ホーリィはそういって石畳の上にケースを置き、ヴェルに両手を差し出した。ヴェルが少しばかり勢い良く落下してきたので、ホーリィは抱きかかえるようにして受け止めた。
ホーリィと、彼に抱きかかえられたままのヴェルの前で、ぽっかりと口をあけている入り口らしき開口部は、そのまま真っ直ぐ奥へと延びているようだったが、中は真っ黒に塗りつぶされたかのようで、動くものも微かな明りも見えなかった。二人は思わずその暗闇にじっと見入った。深い闇を見つめていると、時間までが凍り付いて止まってしまったかのように感じられた。
先に我に返ったのはヴェルだった。突然その体勢が恥ずかしく感じられた。
「ねえホーリィ、降ろしてくれないかしら?それともこのまま進む気?」
その一言で、ホーリィの時間もまた元に戻った。
「ああ、すまんねお姫様。ところで護身用の武器は何か持ってきたかい?」
ホーリィはヴェルを石畳の上にそっとおろしてやりながら尋ねた。ヴェルは気密スーツの大腿部に備え付けられているホルスターを軽く叩いて見せながら答えた。
「光学収束方式のブラスターがあるわ。」
「オーケー、じゃあ行ってみますかね。呼び鈴もないしドアも開けっ放しの玄関だ。勝手に入っても大丈夫だろ、きっと。」
そう言うとホーリィは腰の後ろあたりにある収納ポケットから、スタイルヘルガー・メカニカルリボルバーを取り出し、それを見てヴェルは目を丸くした。
「ねえ、ホーリィ。余計な心配かもしれないけれど、その銃は宇宙空間でも役に立つわけ?」
「撃つことはできるよ。こいつぁ、いわば小型のミサイルを撃ち出すからね。しかも、ここにはなぜかは知らんが重力がある。となれば発射の反動で宇宙の彼方に俺が飛んでいく心配もないってことだよ。おまけに武器はもう一個ある。」ホーリィは床においてあった金属ケースを開けて、光を発する刀剣をとりだした。「松明のかわりにもなれば、バーベキュー用の肉を切る事だってできるさ、やったことはないけどね。」
***
ホーリィはアクティアヌスの守り刀を松明のように左手でもってかかげ、右手にはメカニカルリボルバーを構えてすすんだ。そのすぐ背後にはヴェルの姿がみえる。少し進んだところで、ヴェルが後ろを振り返って言った。
「昔話にあるように、入り口が閉まってとじこめられるってことは起きなかったわね。」
「しかもヴェル、これをご覧。」
ホーリィは刀の明りで、その辺にある奇妙な柱を何本か照らし出してみせた。その柱は石でできていながら樹木のようにねじれつつ、高い天井へと伸びていた。
「この形の柱。俺はビューダンの古代遺跡で同じようなのを見たぜ。君の昔話にこんな柱はでてくるのかい?」
ヴェルは柱を見上げながら言った。
「そこまで細かいところは覚えてないけど、ホーリィ。でも、これはあなたの言うように古代船なんとかってわけ?海賊城じゃないってんなら、この際それでもいいかしら。」
「いいや、ヴェル、訂正するよ。君の昔話に出てきたものが、ここにあった。」
ホーリィはそう言うと、明りをゆっくりと揺らして、床を照らした。そこかしこに、かつて人間だったものの、なれの果てが転がっていた。彼らの身に付けている気密スーツの年式や形式はばらばらだったが、どれにも皆、鋭く抉られたり切りつけられた跡があった。
ヴェルは、声にならない呻きを発しながら、ブラスターガンを抜いて構え、辺りを見回した。
二人はしばし、そのままじっと様子をうかがってみたが、辺りに異変は認められなかった。ホーリィは、近くに倒れてる男に近寄り、かがみこんでまじまじと見た。
「ひどいね、腹部を気密スーツごと切り裂かれてる。」
ヴェルも臆することなく、そばによってきた。
「気密性が失われたことで、体の内圧で傷口が大きくめくれ上がってるし、噴出した内臓とかも破裂しているわね。直接の死因はそういうことかしら?」
「驚いたね。昔話は怖いのに、死んだ人間は怖くないのかい?」
「ええ死体は怖くないわよ、ホーリィ。職業柄、見慣れてますからね。言ったでしょ?昔話が怖いのは遺伝子レベル的な恐怖で質が全然ちがうのよ…。それにしても彼はいつの時代の人間かしら?装備品の形からいくと、そうとう昔にみえるけれど。」
「真空中じゃ、死んでも肉体は朽ち果てないからな…。死に様がむごければ、未来永劫むごいままだ。」
ヴェルはさらに死体をひっくりかえして調べていた。
「見て、ホーリィ。彼は銃を持っているわ。つまり…。なんてこと!カプセルをもう一個のみこんでおくんだったわ!」
そういうとヴェルはその場に崩れ落ちそうになった。ホーリィは慌てて彼女の体を支えた。ヴェルは続けた。
「目に見えない者が持つ刀に襲われたのよ…、目に見えない者に…。撃ちかえせるはずがないじゃない!」
「落ち着けヴェル。やはり君は戻ったほうがいい。」
「いいえ、もう遅いわホーリィ。あれを見て。」
ホーリィはヴェルが指差した方を見た。
なにかが、すごい勢いで飛んできた。ホーリィはそれをとっさにアクティアヌスの守り刀で叩き落とした。飛んできた物体は真っ二つに折れて床に落ちた。それは片刃の短い刀剣だった。
ホーリィは刀剣が飛んできたほうに目を転じた。
そこには人間のような形をした微かな光体たちが、手に手に鋭利で鈍い光を放つ刀剣を握り締めてゆらゆらと宙に浮いていた。彼らのその姿は幽鬼とでもいえるものだった。
何人かの幽鬼が、刀を振りかざしてホーリィ達のほうへ駆け寄ってきた。
ホーリィはそいつらに銃を向けると引き金を絞った。
ショートミサイルカートリッジの弾頭がかつてない勢いでとびだすと、すぐさま炸裂し、まわりの発光体たちを巻き込みながらオレンジ色に輝く火球となって飛び散った。しかし、その火球の輝きが、さらに後ろにひしめき漂う、何百本もの幽鬼達の姿を浮かび上がらせたのだった。ホーリィは続けて五回、引金をひいたが焼け石に水だった。
「だめだヴェル。こいつぁ数が多すぎる。」
走れるか?とホーリィがヴェルを抱え起こそうとしたその時、ふたつの事が同時に起こった。
幽鬼の大軍は、ホーリィとヴェルに向かって一斉に襲いかかってきた。
緑色に発光したエネルギー球が、回転しながらホーリィたちの背後から飛んできた。
緑光の球体は、ホーリィとヴェル頭上をかすめて通り過ぎ、そのまま幽鬼の群れに突っ込むと、ひときわ大きく輝き、幽鬼たちを飲み込んでは、それらをまるで気化させるように溶かし、溶けた幽鬼がさらに近くにいた別の幽鬼に乗り移るようにして、また溶かした。
一瞬のうちに、幽鬼たちは連鎖的に消滅し、刀剣だけが、その場にばらばらと落下した。
ホーリィは振り向いた。
一人の図体のでかい男が長銃を手にして、ホーリィとヴェルのほうにむかって歩み寄ってきた。
ホーリィの気密メットのヘッドスピーカーから、聞いたことのある声が流れ出た。
「案外だらしねえんだな、兄弟。おめえ、ほんとにキャトの末裔なのかい?ええ?」
ホーリィを拉致した、あの海賊ラシャ・グラビスタの野太い声だった。
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