硬くて冷たい、ざらざらとした金属が、ホーリィの頬に触れた。
それは、カトラスと言われる短く反り返った片刃の剣で、海賊どもが好んで使う武器だった。ホーリィは手足をきつく縛られており、木でできた船の甲板の上に転がされていた。見上げると、風を全身に受けて大きく膨らんだ赤い帆と、それをささえる太いマスト、その向こうからぎらぎらと照りつける南国の太陽があった。
カトラスの刃身が、またしても、ホーリィの頬をぺたぺたと叩くようにしたかと思うと、急にぎゅっと押し付けられた。むせかえるように熱い南海の潮風が、よく宇宙船の機関部に漂っているオイルの匂いを運んで来た。
「宇宙船のオイルだって?なんか、そのナレーションはおかしくないかい?」
そこでホーリィはようやく目を開けた。
鼻先には、宇宙船の内部隔壁に打ち込まれたリベットが見えた。体は暗くて狭い空間に押し込まれており、しかも空中に浮いていた。そして頬がぎゅうっと壁に押し付けられるような姿勢をとっていた。
「なんだいこりゃ?」
ホーリィは手足を動かそうとしたが、なにかで縛り付けられていて身動きが取れなかった。奇妙な夢の原因の一つはこれか、と思いながら、首に力をいれて頭で壁を押し返した。すると、その反動で、ホーリィの体は空中すべるように移動し、足元が鉄板か何かに当たって、鈍い音を出した。
その瞬間、足元にあった円形の小さなドアが大きく開くと、光とともに毛むくじゃらの腕が二本入って来て、ホーリィの足首を乱暴に引っ張った。
ホーリィは、いきなり明るい船内灯の下にさらされて、目を瞬かせた。ホーリィを引きずり出した男は、無重力状態で宙に浮いているワイヤー付の爪鉤を手繰り寄せ、そこにホーリィをひっかけて、そこに引っ掛けた。ワイヤーのもう一方の端は船内の壁に固定されていた。
「やあ、兄弟。モーニングコールは頼んでないよ。」
ホーリィは目の前に斜めに突っ立っている、見覚えのあるヒゲ面の大男に言った。ホーリィの見たところ、ここは、重力制御装置すら備わっていない、安っぽくて狭い宇宙船の一室だった。室内は円筒形で、各設備に上下関係がなく、明らかに無重力状態を前提にデザインされていた。
「もうそろそろ、いい頃合だろうと思ってよ。あんたに聞きてえことがあるんで、起きてもらったのよ。」
ヒゲ男はそういうと、ホーリィの胸座を丸太ほどの太さもある腕で捕まえてぐいと引き寄せた。
「しち面倒くせぇことは性に合わねえ、単刀直入に聞くぜ。ラヴァクに何しに来たんだい、ユニオンの旦那。」
ホーリィは至近距離まで迫ったぎょろ目を見返してから言った。
「俺も面倒なことは嫌いでね。単刀直入に言うよ。ラヴァクには、アイスクリームを買いに来たんだ。」
それを聞いたヒゲ男は、気にいらねえといった形相でホーリィを突き飛ばした。
ホーリィを壁に留めている鉤爪のワイヤーが、びぃんと伸び、またその反動で、ホーリィはもといた場所に戻ってきた。
でっかい手が、今度はホーリィの顎を鷲掴みにした。
「そりゃあ、おめえ、納得いかねえな。ああ、納得いかねえとも。」
ヒゲ男はホーリィの目を睨み込みそういうと、直ぐ脇にある物入れから何かを二つ取り出し、それぞれ両手に持つとホーリィに突きつけた。
「じゃあよ、聞くがよ。これは一体なんの真似よ?」
「おまえさんが右手に持っているのは俺の愛銃で、左手に持っているのは俺の知り合いの忘れ物だよ。」
ヒゲ男は左手に持っている、金色の不思議な刀を見ながら言った。
「確かにこいつは得体が知れねえ。だが、もっと気になるのは、こっちのほうよ。」
そう言いながら男は、右手のスタイルヘルガー・メカニカルリボルバーの銃口をホーリィに押し付けながら言った。
「やめときなよ。こんなボロ船の中で、そんなもんぶっ放したら、みんな仲良く宇宙の藻屑だよ。なんでそいつが気になるんだね?銃くらい誰でも持ってるだろ?」
ヒゲ男は言った。
「ふざけてんのか、おめえ。銃を持って歩くのは珍しいことじゃあねえ。だが、その銃がシュタルムヘイゲー48だってんなら、話は別よ。」
ホーリィはヒゲ男の言ってる意味が計りかねたので、そのまま黙っていることにした。男は続けた。
「おまけに、ホーリィ・アクティアと名乗ってると来たもんだ。はっ!それもユニオンの人間のクセしてよ。さあ、言いな。おめえ、いったいなんの企みでここに来たのよ!」
ホーリィは、すぅっと息を短く吸い込んで、そこから一気にまくし立てた。
「言ってる意味が、ぜんっぜん分からないんだよ、悪いけど。まず、第一に俺は、仰る通りユニオンの人間だ、それは認めましょう。だが、ここには休暇でやってきただけであって、それ以外のなんでもない。第二に、その銃は、わざわざ何かの為に持って来た訳じゃあない。俺が生まれた時に、その銃はすでに我が家にあったんだ。第三に、俺はおぎゃあと生まれて何日目から、ずっとこのかた、ホーリィで、おぎゃあと生まれた瞬間からアクティアだ。おまいさんにとやかくいわれる筋合いのもんじゃあないし、おれがとやかくいう問題でもない。名前をつけたのは俺じゃないんでね。最後に、俺は寝起きに葉巻がないと機嫌が悪いんだ。面倒くさいから、全部まとめてビューダン星域居住者身分認証公共財団ってとこに照会してみなよ。そしたら、全部はっきりするさ。それで納得できたら、とっとと俺を降ろしてもらおうか。んにゃ、その前に葉巻の一本も吸わせてもらおうか。どうよ?ええ?」
その時、船内スピーカーのブザーが鳴って、それから別の男の声がした。
「ラシャ、やべえよ、監視局の船が近寄ってくる。そっちの船を切り離さねえと、逃げ切れねえ。」
「わーかった、今戻る。よう、兄弟。おめえの話が全部本当だってえなら、それなりに面白え。だが、今はちいとばかし時間がねえ。とりあえず、こいつぁおめえに返しとくぜ。またな。」
ヒゲ男は、そう言って、ホーリィの目の前に両の手にもっていた銃と刀をぽいと浮かべると、ドアの向こうに消えた。
「おい、せめて手足を解いて行けよ。葉巻が吸えないだろうが。」
それから間も無く、ドシンという振動が走って、それから静かになった。ホーリィが不自由な姿勢で窓の外に目をやると、高速の小型宇宙艇が、鋭角に曲がりながら飛び去って行くのが見えた。
それから数時間後、ホーリィは別の宇宙船の一室にいた。部屋は四方を金属質の壁があり、壁と似た感じの金属素材のパイプ椅子が二脚と、その間に簡素な作りつけの机がひとつあるだけだった。
拘束からはとっくに開放されていたが、無理な姿勢でいたためか、手足の関節にちょっとだけ痛みがあった。あの後、監視局とかの船とやらが、ホーリィの残されていたボロ船を回収し、哀れ宇宙を漂う羽目になった彼を救助してくれた訳だが、銃と刀と諸々の小物類はまだ返してもらっていなかった。しかし、上着の内ポケットに葉巻ケースが残されていたのは朗報と言えた。
ホーリィは、チャーチル&キッシンジャー葉巻に火をつけて、部屋の中を見渡してみた。
なんか、前にもこんなことあったっけ、と思った後、ああ、グランビア大砂海で、アレックスの取り調べを受けた時だっけ、と思い当たって、ちょっとげんなりした気持ちになった。もっともあの時は、葉巻を吸えなかったが、今はこうして吸えているだけありがたい。
ひとつの壁にすぅーっと穴があいたかと思うと、そこから、背の高い女性が一人、大き目の金属ケースを抱えて入ってきた。
「連合監視局捜査官のヴェロニカ・ヘイムワーグよ。」
女性は、机を挟んでホーリィの向こうにある椅子に、しなやかな動作で腰掛けながら言った。
「とりあえず、これはお返しするわ、ホーリィ…アクティアさん。」
ファミリーネームを発音する前に、あからさまな躊躇いの間があった。ホーリィは、また名前か、と苦笑いしながら金属ケースを開けた。そこには愛しのスタイルヘルガー・メカニカルリボルバー銃とアクティアヌスの守り刀が入っていた。
「それで、二、三聞きたいことがあるのですけど、ミスター…アクティア。」
「なんでも答えましょう、ミズ…ヘイムワーグ。それと、呼び方はホーリィでいいですよ、ミズ…ヘイムワーグ。」
ホーリィは、わざと彼女のファミリーネームの前に一拍置いて言ってみせた。
「ごめんなさい、ホーリィ。悪気があったわけじゃないのよ。ただ、そのちょっと…。」
「気にしなくていいよ、名前問題に関しては大分慣れてきたからね、ミズ・ヘイムワーグ。」
「ヴェルでいいわ。ところで、あなたの拉致に関してだけど。経緯を簡単に話してくれないかしら?」
「経緯も何も、寝る前に一杯ひっかけてたら、クスリで眠らされてさらわれたってところかな。その後は今の君の反応と大差ないよ、ヴェル。彼らは俺の名前を気にかけ、俺がユニオンだってことを気にかけ、それから…。」
ホーリィは金属ケースからスタイルヘルガーを取り出し、目の前にごとりと置いてから話を続けた。
「なぜかこの銃を気にしてたけどね。」
「そのユニオンの方が、こちらには、なにをしにいらしたの?」
「ますます、彼らと同じ事を聞くね、ヴェル。彼らには休暇だと答えたんだが、君には別の答えを言おう。俺は、まず悪漢に誘拐されて、次に宇宙に放り出され、最後に君に助けてもらうために、はるばるラヴァクまで来たんだよ。」
「ホーリィ。あなたが嘘を言っているとか、そういう意味ではないのよ。あなたがユニオンの人間で、かつ、現在のステータスが長期休暇中であるということは、ビューダンの身分認証公団に確認済みだわ。でも、私たちは別の情報も知っているのよ。それは、あなたが、ただのユニオンのメンバーではなくて、探求者だ、ということね。そんな人がアクティアの名前でラヴァクに現れたら、あの海賊たちじゃなくても興味津々よ。」
「ちょっと待ってくれないかな、ヴェル。二つ教えてくれ。まず、彼らはやっぱり海賊なのかい?次に、なんで俺がユニオンだということが、そんなに問題なんだい?違う宙域だとはいえ、他のユニオンメンバーもここには出入りしているはずだ。なにしろ、お隣の宇宙なんだからね。」
「まず、最初の質問に答えましょう。普通だったら教えないところだけど、あなたはユニオンの探求者ですからね。教えなくてもどうせ、自力でこの情報を手に入れるに決まってるわ。」
そういうと、ヴェルはヴォリュームのある胸のおかげで窮屈な角度になっている胸ポケットから、薄い金属製の端末を取り出すと、なにやらピピピと操作した。
すると、机の中央に細い割れ目が現れて、そこから紙が一枚、まるで焼きたてのトーストのように飛び出してきた。
ヴェルはそれをつまんでホーリィの前に並べた。
「彼じゃないかしら?あなたを連れ出したのは。」
なるほどそこには、例のヒゲ男の正面と側面から撮影された写真と、彼の身体的特徴などが記されていた。
「彼は、ラシャ・グラビスタ。最近ここらに頻繁に出没している正真正銘の海賊だわ。」
「海賊はとうの昔にいなくなったって聞いてたけど?」
「ある意味イエスだけど、厳密にはノーね。確かにここら一帯のシャロウ・ラヴァクには、こそ泥や密輸業者みたいな小物しかいないわよ。でも、ディープ・ラヴァクの方にはまだいるのよ。彼はその中でも大物の一人だわ。」
ホーリィは左右の腕を広げて、両の掌を上にむけながら言った。
「なんだって、そんなお偉方が、俺なんかに?」
「あなた、本当に何も知らないのね。」
そう言うと、ヴェルは、また金属端末を何度か叩き、ほどなく現れた別の紙を、またホーリィの前に置いた。
「これを見てごらんなさい。」
そこには、ラシャの写真よりももっと不鮮明な写真が掲載されていた。細面で若い、男だった。ホーリィは声に出して読み上げた。
「なになに、通称、親父殺しキャト。本名、キャト…アクティアだって?捕獲賞金総額250万ネビュルにのぼる重犯罪人で、宇宙船舶強奪の常習犯?他、殺人、詐欺、強姦などの余罪並びに嫌疑多数あり?誰だい、こいつぁ?」
ヴェルは冷静な口調で言った。
「多分、あなたのご先祖様ね、その犯罪者履歴は400年ほど前のデータだから。しかも、彼はここらでは誰でも知ってる超有名な海賊よ。」
「親戚にこんな有名人がいたとは、知らなかったな。会う機会があったら、サインのひとつも貰っておきましょ。」
ヴェルがさらに続けた。
「あなたの第二の質問に答えるわ、ホーリィ。アクティアというファミリーネームは、少なくとも現在のラヴァクでは知られていないわ。映画や小説の以外ではね。ラヴァクでアクティアといったら、昔の高名な海賊の族長のである『彼』の事だし、現在のシャロウ・ラヴァクの社会体制に大きな影響を与えた『彼』のことよ。そしてアクティアは後にも先にも『彼』一人だけ。そんな歴史上の英雄の子孫がまさかビューダンに居たなんて、誰も考えていなかったわよ。そんなところに、ユニオンに属するアクティア姓の人物が現れたりしたら、なにかあるんじゃないかって思うわよね。」
「お待ちなさいって、ヴェル嬢。きっとそりゃ何かの偶然だよ。確かに、アクティアって名前はビューダンでも、そうそう居る名前じゃないと思うけど、きっと全く皆無って訳でもないよ、調べたことはないけどね…多分。」
「状況証拠は、まだあるわよ、ホーリィ。キャト・アクティアのファイルの所持銃器の特徴欄を読んでみたら?」
ホーリィは彼女に促されるままに書面に目を走らせた。
「スタイルヘルガー社製シリーズ48メカニカルリボルバー。プリプログラマブル48口径ショートミサイルカートリッジ弾を使用。本体部、ポリオンカーボニウム合金製、グリップ部メリマリン鉱石のホワイトパール仕様…。」
「ラヴァク言語圏ではシュタルムヘイゲーと発音するんだけど。でも、要するに、それの事じゃない?」
ヴェルはしなやかな白い人差し指で、机の上の無骨な銃を指差し、さらに続けた。
「このあたりでは誰でも知ってる親父殺しキャトの伝説によると、彼の銃のグリップ裏側に『小僧を守れ!』って書いてあることになってるわ。彼の養父が願掛けに掘り込んだものだそうよ。」
ホーリィは、観念したような表情になった。
彼はスタイルヘルガーを手にとると、簡易分解して、グリップ部を取り外し、その裏面を黙ってヴェルに見せた。
「ラヴァク海賊衆の使う文字ね。『小僧を守れ!』って読めるわよ。」
「ずっと気にはなってたんだよ、この記号…。」
ヴェルは身を乗り出して机の上に肘を突き、両手を組み合わせると、その上に自分の形の良い顎を乗っけて、興味深げにホーリィを見つめた。
「要するに、あなたも正真正銘ってことね。どう?さらにDNA判定もしてみる?」 |