なんとなく、ホーリィは振り返り、自分の背後の景色を眺めた。
遥か彼方の地平線のあたりが、沈みかけた太陽の光を受けて朱に染まり、その上に進軍しつつある夜の軍勢が青から濃紺のグラデーションを描いていた。
延々と広がる赤い大砂海の上に、点々と続く二つに割れたひずめの足跡が、蛇行しながら丘を越え、窪地を渡って続いていた。
ホーリィは、砂漠の民から借り受けた一頭の砂漠馬にまたがっていた。
いつもの服装の上に、さらに、バラミア人が渡海する時に身につける、薄手の白い布地で金色の刺繍がところどこに施された、長めでゆったりとしたつくりの外套を着込んでいた。外套は、それ自身がまるで体温を持っているかのようで、極寒の夜には温かく、灼熱の昼にはとても冷たく感じられた。
ホーリィの横には、愛馬メルネスにまたがったハリーの姿があった。
「気になるのか、後ろが。」
ハリーは、メルネスの上で、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、じっと前方はるか彼方を見据えながら言った。
「あ、いや…。うん、なんとなくね。なにかの拍子に、ふと、あそこでの出来事を思い出しちまう。二日前に出発した君たちの秘密の館をね、ハリー。」
そう言うとホーリィは、懐からチャーチル&キッシンジャーを一本取り出して、外套の上から腰に巻いた帯に下げられている、小さなバラミア風の短剣を抜くと、葉巻の吸い口を切り飛ばして、フラットカットの吸い口を作った。
「それもまた、おかしな話。あなたは言った。あなたの乗り物が、あなたの帰る場所だと。でも、今のあなたは、まるで、遠く道行く旅人が遥か故郷を偲ぶように、我らが館を思っている。」
ホーリィは葉巻に火をつけてくわえながら言った。
「俺の心も、君にはすべてお見通しなのかい?」
ハリーはちょっとの間黙っていたが、やがてこう言った。
「なにもかもが分かる訳ではない。人の心は、岩や木よりもはるかに複雑。波紋のように落ち着かず、蜃気楼のように定かでなく。」
「そうかね? 俺には君の考えてることが、手にとるようにわかるぜ、ハリー。君もそろそろ欲しい頃合だろ?」
ホーリィはそういうと、ほら、と言いながら、チャーチル&キッシンジャーを一本、馬上のハリーへと放り投げた。ハリーは片手でそれを受け止め、笑顔を浮かべて言った。
「当たりだ、確かに。」
「あとニキロメートル進むと、グランビア軍の索敵ラインですよ、ホーリィ。」
しばらく進んだあたりで、天空から一行を見守っているケイが、ホーリィの通信端末ごしに話し掛けてきた。
すでにあたりはとっぷりと日が暮れて、大きな月が満点の星空にせり登って来ていた。
ホーリィは、馬の歩みを止めると、オーケー、ケイ、と言い、続いて馬上のハリーに声をかけた。
「と、言うわけなのでハリー。君との旅路はここまでだ。ここから先は俺の問題であって、君を巻き込むのは本意じゃあないからね。」
ホーリィはそう言いながら砂漠馬から下りて、さらに続けた。
「君が同行してくれたからこそ、この大砂海をここまで来れた。礼を言うよハリー。それから君にもね、ええと、ネメシスだったっけ?」
ホーリィは今まで乗っていた砂漠馬の長い首にそっと手を伸ばして、さわさわと撫でた。ネメシスと呼ばれた砂漠馬がくすぐったそうにぶるぶると激しく頭を振ったので、ホーリィはちょっと驚いて後退りした。
「あなたがそう言うなら、そうしよう。おそらくあなたは、私の手助けなしでもやり遂げるだろう。それにあなたには他にも友が一緒にいる。空の上にいるものと、銃の中にいるものと。どれ、それを私に。」
ハリーはそう言って、ネメシスの手綱を指差した。ホーリィは、ネメシスの手綱を馬上のハリーに手渡しながら言った。
「まあ、すぐに戻るから。もし葉巻が欲しくなっても、ちょっとだけ辛抱しててくれないかな。」
ハリーは声を出さずに笑うと、メルネスの馬体をくるりと逆向きにして、ネメシスを引き連れ、今まで歩んできた薄暗がりの中に去って行った。
ホーリィもまた、彼の背中を見送るでもなく、さらに先へと歩み始めた。
二人は、最後までそれらしい別れの挨拶を交わさなかったし、お互いに振り返ることもなかった。
ホーリィはケイの誘導で、小高い砂丘の上にやってきた。そこから見下ろすと、すこし先に、黒々とした、大小さまざまな、おびただしい数のテントのようなものの影と、その下からもれてくる灯りが無数に認められた。
「あれが、グランビア08駐屯軍の演習野営地の一つですよ、ホーリィ。ヤングドワーフからの追跡用信号は、あの中から発せられてます。」
「さて、どうしたもんかな。」
ホーリィは、砂丘のてっぺんで胡座をかいて座り込むと、チャーチル&キッシンジャーをとりだして、ふかした。
「向こうが暗視ゴーグルでこっちを見ていたら、絶対にみつかりますよ。葉巻の火口は隠してください、ホーリィ。」
ケイの警告に、ホーリィは、おっと、といいながら両手でくわえている葉巻の先を覆い隠すようにして、それから言った。
「ケイ、おまえさん、目がいいねえ。ついでにあそこに潜り込むための最適ルートを精査してくれないかな。」
「それはすでに完了してますよ、ホーリィ。とりあえず警備の一番手薄な場所はわかってます。ただ、そのルートですら、警備兵が二人いて、彼らをなんとかしないといけませんね。それで野営地の一番外側まではたどり着けますが、そこから先は、進めば戦争が始まりよ。」
ま、行ってみますか、と言いながら、ホーリィは葉巻をぷうっと吹いて、葉巻の内部に溜まっていた煙をすべて外に出し、しばらく火が自然に消えるのを待った。それから、大事そうに消えた葉巻をポケットに仕舞うと、目立たないように中腰の姿勢で砂丘を駆け下りていった。
ケイの指示した地点に達した時、ホーリィは砂まみれで腹ばいの姿勢だった。もはや匍匐前進していないと、いつグランビア軍の歩哨に見つかるかわかったものではないくらい、彼は野営地に近づいていた。
ホーリィがひそひそ声で言った。
「ケイ、さすがに、これ以上はもうだめだよね?」
「ええ、ホーリィ。そろそろ何か手を打たないと、もう、いつ発見されても不思議じゃないですね。」
「相手は二人といったかな? 周囲には他には誰もいない?」
「二人の歩哨以外は、半径八百メートル以内の屋外にはいませんよ、ホーリィ。」
「ケイ、その二人は、仲が良さそうかい? それとも悪そうかい?」
「二人の間の距離を尋ねているなら、それは三メートルですよ、ホーリィ。」
「人間関係を計るには微妙な距離だな。エス、起きてるかい?」
ホーリィはそう言うと、スタイルヘルガー・メカニカルリボルバーに閉じ込めっぱなしのエスに向かって問い掛けた。
「ええ、もちろんよ、ホーリィ。百歩譲って、仮に擬人化プログラムに睡眠というものがあったとしても、こんな狭いところじゃゆっくりと眠れたものじゃないけど。」
「まあ、間もなくあの居心地のいいヤングドワーフのメモリ空間に戻れるよ。ところで、彼らまで届くかな?」
「射程のこと? 射撃モードによるわね。ご希望のメニューは?」
「静音優先、次に爆圧。爆破点は前方二人のちょうど中間点。」
「たぶん、届くわね。でも地形とターゲットに関する精密な位置データが必要ね。ケイ、数値だけちょうだい。グラフィクスデータはもらってもこの中じゃ処理できないから、いらないわ。」
ホーリィはショルダーホルスターからスタイルヘルガー・メカニカルリボルバーを引き抜くと、遊底を静かに引いて、音がなるべくしないように気をつけながら、初弾を輪転式弾倉から薬室に送り込んだ。
「準備OKよ、ホーリィ。でも、確認するけど、爆破点はターゲット直撃じゃなくていいのね?」
ホーリィは、うつぶせのままの射撃姿勢、いわゆるプローン・ポジションでスタイルヘルガーを構えて、答えた。
「ああ、それでよろしく。」
「精密な点の射撃になるから、トリガーは私が引くわ。」
ホーリィは、前方に向けたスタイルヘルガーの銃口を上下左右に、ゆっくりと僅かに振った。適切な位置を照準が捉えた瞬間、エスが四十八口径ショートミサイルカートリッジ弾を発射した。
シュウーッという低い唸りを発しながら、飛び出した自走式弾頭は、地形の起伏に合わせて正確に高度十五センチメートルを維持しながら、グランビア軍の野営地の一角を警備している二人の人影のすぐそばまで達し、そこで急に上向きにホップして、ちょうど二人の中間点あたりで炸裂した。それは、爆発というよりも燃焼だった。急激に熱せられた空気が膨張し、周囲に衝撃波が走った。
ホーリィは、発射後すぐさま立ち上がり、中腰にかがんだまま、野営地のほうに走り出した。弾頭の起こした空気圧で、二つの人影が左右反対側にそれぞれ吹き飛ばされるのが見えた。
ホーリィは警備の歩哨が立っていたところまで駆け寄って、倒れてる人影を確認した。それは人間ではなく、機械だった。メカロイドと呼ばれる、グランビア軍のいわゆる人の形をした汎用戦闘機械だった。すぐ近くにテントがひとつあり、ケイの精査によると、中に人の気配はなかった。ホーリィは二体の重い機械人形をその中にずるずると引っ張り込んだ。
「ほう。」
ホーリィはテントの中を見回して、思わず小さな声を出した。そこに数体のメカロイドがメンテナンス用のベッドのような台の上に横たわっていた。どのメカロイドも、外で歩哨に立っていたのと同じ型のものだった。
「ケイ、コンピュトロニクスの知識はあるかい?」
ホーリィはなにか閃いたといった風情で、右手の人差し指を突き出し、自分の額に押し当てながらケイに質問した。
「まあ、最低限の知識はありますし、必要であればユニオン・インターエクスチェンジ網から追加情報ファイルを取り寄せますが。」
「エスはどう?」
「ケイにできるなら、私にもきっと可能ね。なにをして欲しいのかがよくわからないけど。」
「オーケー、じゃ、二人とも、そのへんのメカロイドから好きな奴を選んで、そのシステムを自分自身でオーバーライトしてくれ。」
そういうとホーリィは、左手首につけていた携帯情報端末装置を外して、外部転送用インターフェースを、メカロイドが横たわっている台がリンクされているコントロールターミナルと接続した。
程なくして、二体のメカロイドがむくりと、台の上から起き上がった。
「ええと、どっちがケイだい?」
片方のメカロイドが右手を上げた。
「やあ、ケイ、はじめまして。」
ホーリィはそういうと、そのメカロイドと握手し、次に別の一体に向き直ると、まるで舞踏会での貴族階級の男子が、令嬢をダンスに誘うときのような気障なお辞儀をした。相対するメカロイドもまた、左右の掌を地面に向けて、やや小首を傾げて膝を落す令嬢風の挨拶を返した。
「なかなか似合ってるぜ、お二方。」
「なにか、こう、変な感じですねえ、ホーリィ。なんというか、あなたと同じ目線なのが。」
といいながらも、ケイはまんざらでもない様子で、自分の手足をまじまじと眺めたり、動かしたりしていた。
「それで、私たちにこんな慣れない機械を擬人化させて、これからどうしようっての、ホーリィ。」
エスの質問に、ホーリィはちょっとくくっと笑いながら答えた。
「慣れないついでに、お二人にはちょっとお芝居をしてもらおうかな、と思ってね。」
|