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長距離輸送業者と女泥棒の話(仮題):第ニ部


ヴォセバラミア

 しばらくして再びハリーが現れ、ホーリィを部屋の外へと連れ出した。そこでホーリィは初めて自分が大きな縦穴の中にいることに気が付いた。ホーリィがいた部屋は、その縦穴に対して水平に穿たれた小さな横穴のような造りとなっており、そのすぐ外には白い石畳風の幅のある通路となっていた。この通路はところどころに僅かな段数の階段があり、全体としてゆるやか螺旋を描いた回廊となって階層を築いていた。回廊の一方はより上層の部屋の入り口を結んで上へと伸び、他方はより下層の部屋をつなぐために下りになっているのだった。
 回廊の内側は中空で吹き抜けており、そこに二本の柱が見えた。一本は白い石でできた柱で、さながら大きな機械仕掛けの時計の針の軸のように、ゆっくりと回転していた。もう一本の柱は水でできており、滝のように上から下へと流れ落ちていた。
 ハリーはホーリィに着いて来るよう目配せし、下へ下へと回廊を進みはじめた。ホーリィは降りていく途中で吹き抜けの上を見上げてみた。天井は一枚の大きな岩で出来ていて、いくつもの明り取りの穴が開けられていた。その穴のうちの天井の最も中心部に開けられたところから、淡い光とともに水流が流れ落ちているのだった。落ちてくる水流と並んでいる石の柱もまた、天井へとつながっていたが、差し込む光が逆光気味で、その先がどうなっているかは分からなかった。ホーリィ達が下に降りるに従って、ザーッという激しい水音が聞こえてきた。回廊の一番下の階に達したとき、その水音の理由がわかった。流れ落ちてくる水流の柱が大きな水車を回していた。そしてその水車が先ほどの柱につながっており、それを回転させているのだった。円形に組まれた石造りの台座が水車をささえ、落ちてきた水を蓄えていた。水はそこからさらに地下にでも流れていっているのか、あふれることなく一定の水位を保ちつづけていた。
「これは、なんだい、ハリー?」
 先を歩いていたハリーが立ち止まって振り向き、水車とそれに連なる軸を仰ぎ見ながら、答えた。
「この館の力の源。上のオアシスの水が柱をまわす。まわる柱はいろんなことに使われる。粉を挽くのにも使われるし、太陽や月や星の計算をするのにも使われる。」
へえ、と関心しているホーリィに背中を向けて、ハリーはまた歩きはじめ、やがてひとつの扉の前で立ち止まった。扉は磨き上げられた白亜の造りで、両開きするように左右対称になっていた。扉の枠と取っ手には、金色に輝く金属が用いられていた。取っ手の部分はごく短い連環状に黄金の金属が編まれていて、片方は直に扉に埋め込まれ、他方に装飾の施された柄がぶら下がっていた。ハリーが両の手でその扉についている鎖を引っ張ると、いかにも重そうな扉は意外なことに音もなく滑るように開いた。扉の先は短くてやや薄暗い通路になっており、通路の終わりには、また同じような扉があった。

「ヴォセバラミアの部屋。」
 ハリーは短くそういうと、目を閉じて、しばしの間何かを念じるような素振りを見せた。それからやおら、ノックもせずにその扉を開いた。
 部屋の中はさらに暗く、四隅には配置された背の高い円柱状の台座の上に、オイルランプの炎が灯っていた。その明りが部屋の中に深みのある陰影を与え、実際の広さよりもさらに広がりがあるように思えた。部屋の床には様々な色を用いた毛織の絨毯のような敷物が敷かれ、奥の方に正方形状に床が一段高くなっているところがあった。そして、天井から幾重にも吊り下げられた薄いベール状の布がその空間を覆い隠しており、その奥には人の気配があった。ベール状の布の間仕切りから透けて見えるシルエットは中に片肘をついてよこたわっているかのような姿勢を保ち、小柄で、やわらかな曲線がその輪郭を描いていた。
 ハリーは部屋の中に進み入り、敷物の上で手招きすると、ホーリィをそこに座らせた。それから、彼自身は部屋の外に出てそっと扉を閉じた。



 ベールの向こうのシルエットは、ゆらりと立ち上がり、ゆっくりと姿を現した。まずベールをめくる右手がみえた。それは、ホーリィがハモン小集落で出会った右手と同じ肌の色をしていたが、枯れた木の枝のようではなかった。もっとふっくらとしており、もっとなめらかで、もっとつややかな褐色の右手だった。ついで、ベールをくぐってでてくる女性の姿が見えた。顔は下を向いていたが、髪の毛は長く肩に垂らされ、銀色に輝いていた。そして彼女がベールの外に踏み出し、ホーリィの方を向いた時、ホーリィは見覚えのある灰色の瞳を認めた。

 今、ホーリィの目の前にいるのは、あの夜、ホーリィが砂漠で助け出した彼女だった。そしてホーリィが今回の仕事で探している彼女だった。さっき目覚めるまで、ホーリィの事を優しく抱きかかえていてくれたように感じたあの彼女だった。

 サシリエル・ミスシリアム・ヴォセバラミアは、袖のない薄くて長いローブのようなものを身に纏い、細い繊維を編みこんでロープくらいの太さにしたもので腰のあたりをベルトのように巻いていた。首には、ハムザニガンがいうところの、バラミアのお偉い部類の方々が身に付ける美しい装飾のほどこされた首輪をし、左右の手首には金色の簡素な腕輪をしていた。そしてゆっくりとホーリィの目の前まで歩み寄ると、ホーリィと同じようにそこに座り込んだ。今まさにサシリエルとホーリィは向き合っており、その距離は手を伸ばせば届きそうなくらいだった。

「サシリエル?君が?」
 とりあえず、ホーリィはそれだけをようやく言えた。サシリエルはホーリィに、にこりと微笑みだけを返した。
 しんとした沈黙の間、オイルランプが、じじっと燃える音がやけに耳についた。
「なんていうか、驚いた。ハリーが君のことをサシリエル・ミスシリアムだと教えてくれたんだけど、俺はどうやら別の人と勘違いしてたみたいだ。」
「ハモン小集落のお婆さんのこと?」
 サシリエルは、ハリーと同じようにバラミア語で話したが、その言い回しはバラミア語に不慣れなホーリィにも自然に聞き取れた。明らかにバラミア語で発音されているのにも関わらず、ハリーの話す言葉よりももっと自然に感じられた。サシリエルの言葉は、口から出されて直接脳に届いてくるような言葉に思えた。
 サシリエルは言葉を続けた。
「彼女と私は同じ人。彼女は私の心が投影した別の私。だから、あなたは間違ってはいない。でも、あなたはその事よりも、もっと別のことを私に尋ねたいはず。私たちがあの夜なにかを手にいれたのか、手に入れたとしたらそれはなんであるのか、そして、それでなにをしようとしているのか。」

 ホーリィは黙っていた。サシリエルはすっと立ち上がると部屋の奥から荷物を手にして戻ってきた。それはホーリィがあの夜に見た彼女のガルティだった。
 サシリエルは再びホーリィの前に座し、そして目の前でブリーフケースのような入れ物の蓋をあけた。
 ホーリィがグランビア16でミハエルから話を聞いたとき、彼はそれをバラミア遺跡から出土した遺物だと言った。しかし今、サシリエルがホーリィに示したものは、何千年も前の物には見えなかった。それは全体に光沢を放つ、今まで見たことも無い金属で出来ていて、炎のような不思議なゆらぎを内包していた。まるで今しがた溶鉱炉の中から取り出した未知の金属を魔法をもつ鍛冶屋が打上げたかのようで、時の流れに微塵も腐食されていなかった。
 また、ミハエルはそれが古バラミア人に由来する武器か兵器の類であるとも言った。確かにホーリィの目にはそれは武器に見えた。しかし兵器というにはあまりに弱々しくてあまりに不思議なものだった。
 サシリエルの示したもの。それは、短い剣のようでもあるし、また、銃のようにも見えた。しかし単に銃というには、銃身も銃口がなかったし、単に剣というには、銃の握りのような部分と引き金のようなものが柄の部分についていた。刀身の部分は幅が厚い片刃で、先にいくにしたがって反り返っており、その背中には、まるで目玉のように見える象嵌がはめこまれていた。目玉は刃先から飛び出した円形の土台の上にあり、そこから細いワイヤー状のものが飛び出して、鍔とつながっていた。



「最初の質問の答え、わたしたちはあの夜、確かになにかを手にいれた。次の質問の答え、その時手にいれたものこそ、これ。最後の質問には、今はまだ答えられない。でもあなたはきっとそのことを見届ける。」
 そういうとサシリエルは、その不思議な短剣を大事そうに手にとり、それからホーリィにそっと手渡した。
 黄金色に輝く金属製の短剣は、見た目と比べてずっと軽かった。そして、ほのかなぬくもりがあった。まるでそれ自身が体温を持っているかのようだった。ホーリィは柄の部分を持ち、腕を伸ばして剣のように構えてみた。次に銃把のような部分を持って、引き金のような部分に指をそえ、銃のようにも構えてみた。不思議なことにその短剣は異形の物であるにも関わらず、ホーリィの手にしっくりと馴染むような印象を与えた。なんとなく、ホーリィは近くの敵も遠くの敵もこれひとつで打ち倒せそうな気持ちになった。

 サシリエルはそんなホーリィの姿をじっと見つめ、それから、少しだけ震えた声で、小さく小さくこう言った。
「それは、バラムの短剣。そして、アクティアヌスの守り刀だったもの。かつて私の宝物だった人。」
 ホーリィは短剣に向けていた視線をサシリエルに戻した。サシリエルの灰色の瞳は前と変わらず神秘的に輝いていた。しかし、今は深遠で謎めいたその輝きの奥になにか感情的なものがゆらめいているように思えた。
 サシリエルは身をのりだしてホーリィの傍に身をよせると、その唇をホーリィの唇にそっと重ねた。そして長い間、二人はじっとそうしていた。


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