夜の砂漠の寒さに耐えられなくなったホーリィは、運転席に戻ってきた。
「虫の大群に追われていた人物がこちらに向かってやって来ますよ、ホーリィ。」
ケイにそう言われるまでもなく、ホーリィは四つ足の生き物にまたがった人物がヤングドワーフの方に近づいてくるのをフロントガラス越しに認めていた。
「その中がお気に召さないのは重々承知だけどさ、エス。もう少しそこにいてくれないかな。もしかしたら、まだスタイルヘルガーの出番があるかもしれない。そうならないことを願うけど。」
そう言うとホーリィは防寒用のコートを着込み、ついで、両手をこすり合わせて指先に感覚を取り戻させると、スタイルヘルガーの輪転式弾倉のロックを外して上に跳ね上げ、空になった三つの弾倉眼に四十八口径ショートミサイルカートリッジを補充して、ショルダーホルスターに戻した。さらにロッカーから弾薬と葉巻の箱をそれぞれつかみ出すと、コートのポケットに滑り込ませ、ハッチを開けてヤングドワーフの外へと出た。
四つ足にまたがった人物は、もうすでに、ヤングドワーフの運転席の下まで歩を進めてきていた。その人物は男性で、褐色の肌の上に夜間の寒気にも耐えられるぐらいの十分な量の白い布の服を重ね着していた。その服装は、全体的にゆったりとつくられていて、袖や襟口に金糸の刺繍が施されていた。頭には金色の止め輪がついた白い布を被っており、その布ですっぽり覆われた頭髪の色は分からなかったが、鼻の下には黒々とした髭をたくわえていた。その背中には、旧式のスタイルヘルガー・リボルバーを愛用しているホーリィから見ても、あまりに古びていて骨董品としか思えないような単発式のライフル銃が背負われていた。男がまたがっている動物は砂漠馬と呼ばれてはいるが、馬にはおよそ似ても似つかない姿のこの地方特有の動物で、その背中には人を乗せるための鞍が据え付けられていた。 男の黒い瞳は、まるでホーリィの全てを暴こうとするかのように、静かに、しかししっかりとホーリィを見据えていた。ホーリィはホーリィで、どこかで見たことがある格好だな、と思いながら、しかし、どうしても思い出せずに、黙したまま男を見返していた。
やがて唐突に男は鞍から降りた。それから、背中のライフル銃をゆっくりと地面に置き、ついで右手でこぶしを握ると、胸の前まで持ってきて、それを左の手のひらで覆うと、一礼し、ゆっくりと声を発した。
「礼を述べる、なにはともあれ。海賊の血流るる者よ。」
その言葉は、流暢な現代バラミア語だった。
薄暗がりの夜の砂漠の窪地の中で、焚き火の明りが灯っていた。焚き火のこちら側には、ホーリィが座し、向こう側には、男が腰掛けていた。そしてヤングドワーフは少し離れた場所に、静かに停車していた。
焚き火の炎は窪地にたまった空気をゆっくりと暖めていた。男は、燃料となる乾いた木っ端を時々炎の中に放り込んだり、焚き火の傍らに置いたポットの湯の沸き具合を見たりしながら、チャーチル&キッシンジャーをふかしていた。ホーリィはといえば、男に勧められたパイプをくわえ、変わった味のパイプ煙草の煙をぷかぷかと漂わせていた。
「というと、あんたは今日ここで俺に会うのを知っていたっていうのかい、ええと、ハリ・・・。」
「ハリサエラヴァリヌス。発音が難しいか、あなたには?」
「難しいというよりも、長い。ええと、もし良かったら、ハリーって呼んでいいかな?毎度名前を聞き直すよりは、ずっと失礼じゃないだろ?」
今ここで、ハリーという新しい呼び名を与えられた男は苦笑し、沸き立ったお湯で茶を立てると、湯飲みの中に注いで、それをホーリィに手渡した。
「あなたがそうであるか否かは、今の今まで知らぬ話。しかし、此度の出立において、なんらかの危機が訪れ、そして海賊の血流るる者に助けられると。そう告げたから、私にサシリエルが。」
「サシリエル・ミスシリアム?あの占い師の婆さんの?」
その名前を聞くとハリーは子供のような不思議さと驚きの入り混じった表情を浮かべて、ホーリィに問いかけた。
「ご存知か?サシリエルの事を。」
「というかね、彼女が言ったんだよ。俺の仕事を達成したいなら、ここへ向かえってね。もっとも本当にそんなこと言われたかどうかは、自信なくしてたんだけどね、ついさっきまでは。」
そう言ってから、ホーリィはハリーの入れてくれた茶を一口すすった。ハムザニガンのところで飲んだ飲み物に似ていたが、もっと格段に美味かった。
「道を示したというか、サシリエルが。バラミアの外の者に。」
「占い師なら、そういうもんだろ?彼女は見料がわりにその葉巻を六本も巻き上げたんだぜ。高くついたのか安くついたのか、よくわからないけどね。」
焚き火の炎がぱちぱちという音とともに、二人の顔を明るく照らしていた。薪が爆ぜて、火の粉が一瞬、空高く舞い上がった。
「サシリエルの道は絶対の道。決して曲がることは、ない。」
「大した占い師なんだねえ彼女は。ところで、他にもいろいろ尋ねたいことがあるんだけど、いいかな。」
そういうと、ホーリィは彼の葉巻がもうすっかり短くなっているのを見て、もう一本差し出した。ハリーもまた、ほとんど空っぽになったパイプをホーリィから受け取ると、新しいパイプの葉を詰めなおし、それを返した。
ホーリィは慣れないパイプ煙草を相手にに苦労してようやく火を点けると、その火種を安定させるために少しぷかぷかふかし、それから話を続けた。
「ねえ、俺が海賊の血がなんとかっていうのは、一体なんのことなんだい。」
ハリーは困った顔をし、こう言った。
「それは答えることが出来ない。それに答えていいのは、ただ一人、サシリエルだけ。」
「そうかい?じゃあ、帰り道にもう一回、彼女の家に寄って聞いてみなきゃなあ。」
そう言うとホーリィはパイプをぷっと吹いてみた。パイプの火皿から丸い煙の輪っかがふわりと上がり、そして夜空に消えていった。
「さて、いよいよ今夜の話のクライマックスなんだけど、この女の人、知らないかな。バラミアの人らしいんだけど。」
そういってホーリィは、手首の端末に彼女の映像を映し出そうとした。
その時、突然ハリーが傍らに置いていた単発式ライフルを取り寄せて立ち上がり、神経をぴんと張り巡らせるようにして、あたりを窺がった。
「来る、なにか大きくて大勢の奴らが。」
ホーリィも思わず立ち上がったが、あたりは今までと同様にしんと静まり返り、ただ焚き火の燃える音だけがぱちぱちと聞こえてくるだけだった。
「ホーリィ、巨大な物体が急速に接近中です。」
ヤングドワーフからケイが擬人化プログラムとしては最大級の緊迫した声で通信を発してきた。それと同時にヤングドワーフの車載ライトが点灯し、ついで動力ジェネレーターが駆動軸に接続される音がした。ホーリィにはケイが第一級の警戒モードに移行しようとしていることがすぐに分かった。
「ケイ、方角はどっちだ。そいつは、どこから来るんだ。」
「ヤングドワーフの真下です。」
ケイがそう答えるのと同時に、ホーリィの足元が安定感を失った。砂という砂がさらさらと液体のように流れ出し、すぐにそれらが激流となって、ホーリィやハリー、そして彼の砂漠馬を飲み込んだ。砂のうねりに流されながらホーリィは急速に隆起してきた巨大な砂の山の上にヤングドワーフを見た。それはまるで、濁流に翻弄される落ち葉のようだった。そして、その砂山の中から、ヤングドワーフよりもはるかに巨大な何かが現れた。その姿は、まるで深海から一息に浮上してきた黒い鯨のようにも見えた。その巨体から流れさる砂と一緒にヤングドワーフが転げ落ちていくのが見えた。それが彼の見た最後の映像だった。
突然視界を砂に覆われ、ホーリィは、砂の海の深いところまで引きずり込まれた。砂の波に飲み込まれたホーリィの体はそのうねりにただ身をまかせるしかなく、空中に投げ出されたり、引きずり込まれたりを繰り返した。手足がそれぞれ別の方向にすごい力で引っ張られ、体がばらばらになりそうだった。そしてホーリィの意識はそこで途絶えた。
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