「なあ、エス。この集落の地図は頭にはいってるのかい?西のはずれにサシリエルのおばばって人が住んでるらしいんだけど、わかるかい?」
ヤングドワーフに戻ったホーリィは、運転席のハッチを閉じながらエスに尋ねた。
「一年くらい前の情報でよければわかるけど。サシリエル・ミスシリアムね。ええ、わかったわよ、ホーリィ。そこへ向かうの?」
「ああ、やってくれ。それと、彼女の人物情報みたいなのは、あるのかな?」
「その質問はケイのほうが向いてるわね。彼が今調べてるわ。」
ヤングドワーフは、ゆるやかに動き出し、ハムザニガンの補給施設から舗装道路に出ると、その街路を南に向かった。長距離輸送用車両であるヤングドワーフは、この集落のスケールと比較すると少し大きすぎて、対向車両があると、減速してお互いに道を譲りあわねばならなかった。また、このような車両が集落の中央街区に入ってくること自体が珍しいようで、ところどころで通行人が目を丸くしてこっちのほうを見ていたり、子供たちが走っておっかけてくるといった光景が見られた。しばらく進むと、ケイの声がした。
「時間がかかって申し訳ありませんでした、ホーリィ。ユニオンインターエクスチェンジ網では見つからなくて、グランビア公文省の文献まで足をのばしましたよ。先方からの回答がえらく遅延気味でしてね。しかも、分かったことはごく僅かです。サシリエル・ミスシリアム、女性、グランビア砂漠地域第十六区内ハモン小集落西街区在住。職業は占い師。以上です。」
「占い師ねえ。ミスシリアムっていうよりは、ミステリアスって感じだな。」
ホーリィはそれだけいうと、あとはなにも言わなかった。やがてヤングドワーフは道を西に折れた。しばらく走ったあとに、エスが言った。
「今、西街区にはいったわよ、ホーリィ。もう少しで目的地だけど、ヤングドワーフを停めておけるような場所があるかどうか、ちょっと疑問ね。」
ヤングドワーフはほどなく、サシリエル・ミスシリアムの住所に着いた。エスが指摘したとおり、その辺りは入りくんだ住宅密集地域で、ヤングドワーフを駐車すると、道をふさいでしまうことになった。やむなくホーリィはエスに駐車可能な場所を適当に探して、そこで待機するように指示した。ヤングドワーフは立ち去り、ホーリィはサシリエルおばばの家に向かった。
そこは、家というよりは、大きなテントといったほうが的確なところだった。何本ものロープが布でできた屋根から地面にむかって伸び、地中深く打ち込まれており、屋根の頭頂部からは、一本の太くて背が高い柱がつきだしていた。外壁の役割をはたす、屋根から垂直に地面にむかって垂れている布が、ぐるりと一周し、その一部がせり出して、黒色の幕のようなものがつられていた。どうやら、そこが入り口らしかった。
「ごめんよ、誰かいるかい?」
ホーリィは中に向かって声をかけたが、返事は何も返ってこなかった。しょうがなく、ホーリィは入り口の幕をちょっとだけめくって中の様子を窺がった。中は薄暗く、赤や青の幾つもの幕で間仕切りがされているようだった。
「お邪魔するよ!止めるなら今のうちに頼むよ!」
ホーリィはテントの中にむかって今度はさらに大きな声で怒鳴ったが、相変わらずなにも反応がなかった。
ホーリィは、玄関らしき最初の間に踏み入り、さらに、間仕切りをめくって、次の部屋に進んだ。そこには、背もたれのない腰掛けと、小さなテーブルがあり、テーブルの上ではオイルランプに火がともっていた。ゆらゆらとゆれる炎が、ホーリィの背後にうごめく彼自身の影を浮き上がらせていた。ホーリィはなんとも奇妙な感覚を覚え、思わず、左の脇の下に吊るしたスタイルヘルガー・リボルバーの銃把を上着越しに押さえ、確かにそこにあることを確認した。
「なあにをしておる、海賊の血をひくものよ。」
不意にしわがれた老婆の声が、右側の赤い間仕切りの奥から聞こえた。ホーリィは突然の声にびくっと体を震わしたが、顔はにやりと思わず笑っていた。
「海賊じゃないよ。ユニオンのホーリィ・アクティアってもんだよ。」
しかし、ホーリィに戻ってきたのは、返答ではなく、重苦しい静寂な雰囲気だった。ホーリィの周囲の空気はまるで原始の森の中のように、一瞬にして息苦しいほどの濃密さに達したかのようだった。そして部屋の中の全てのものが、厳粛に口を閉ざして沈黙を守っているかのようだった。ホーリィは、右側の赤い幕の前までそっと進み、その布をめくろうと思った。しかし、彼自身の別の何かが一瞬それを拒絶した。肉体最適化による初期遅延反応現象よりも、もっと重く、もっと確信的な拒絶だった。言うなれば、これ以上進むな、という虫の知らせだった。しかしホーリィは、らしくないな、と一言つぶやくと、この感覚を呑み込んだ。
「はいるよ。」
そういうと、ホーリィは赤い幕をめくってその先の部屋へ進んだ。そこは、せまい部屋で、四隅にオイルランプが置かれ、部屋の中をゆらゆらと照らしていた。部屋の真中には丸いテーブルが置かれ、その上には細長い試験管のような容器が数本立っていた。そしてその向こうに、黒いローブに身を包み、目元まで影で隠れたフードをかぶった人物が座っていた。僅かに見える口元が、その人物が老いた女性であることをうかがわせていた。
「そこにおかけ。」
老婆は、テーブルを挟んで自分の反対側にある木製の丸椅子を指さした。その手は褐色がかっていてしわしわで、まるで枯れ枝のように見えた。
「あんたが、サシリエル・ミスシリアムかい?」
ホーリィは丸椅子に腰掛けながら尋ねた。
「いかにも、わしがサシリエル。創造種の手の先として、道を示す者なり。」
「はじめましてサシリエル。まずは、親愛の印にこれを。」
ホーリィはここでも、チャーチル&キッシンジャーを一本差し出した。サシリエルは、にやりと口元をゆがめると、こう言った。
「お主の親愛の印とは、大量に持っている物のたった一本で表されるものなのかい?ホーリィ・アクティア。」
さすがに、これにはホーリィもどきりとし、さらに五本の葉巻を差し出した。
「これでも足りなきゃ、もっと出すけど。でも儀礼の範囲を超えていませんかね。」
すると、サシリエルはからからと笑い声をあげた。
「ホーリィ・アクティア、やはり不遜な輩よの。気持ちと裏腹のその言の葉が、そも不遜の印よ。しかし、わしが知っておるのは、お主の持っている葉巻の数だけではないぞ。」
サシリエルは枯れた腕を伸ばして、ホーリィから葉巻を受け取った。
「お主は知らねども、わしはお主のことをずっと見ておったぞ。」
「そいつは、どうも。下着の色までばれてるとは思わなかったな。」
「それが、お主よ。不遜の輩よ。追い詰められれば追い詰められるほど、不敵さを増しよるわい。」
そういうとサシリエルは、懐から一本の短刀を取り出して、柄のほうをホーリィに向け、テーブルの上に置いた。柄から刃先に向けて、ゆるやかなS字型に湾曲したデザインの金色の短刀だった。柄の部分には一人の人物と、それにかしづく三人の人物の彫刻が施されていた。一人の人物は、長髪で髭をたくわえ、ほかの三人よりもひとまわり大きく描かれており、かたわらの三人はそれぞれ剣と本と舟を漕ぐ櫂を持っていた。刃の部分には紋様とも文字ともとれる流麗な模様が、刃先へむかう輪郭に沿って流れるように彫り込まれていた。
「お主はバラミアの人々に謁見したいと思うておるが、その方法が見出せずにおる。そしてわしは、お主の望みをかなえることもできようし、またそれを望むべくものでないことを示すこともできようて。まずはお主の血をわしにみせよ。それによって、わしの下す判断をお主に示そう。」
そういうとサシリエルは、卓上の試験管のようなガラス容器を持ち上げ、その口をホーリィに向けて差し出した。ホーリィはまるで魔法にでもかかったかのように、あるいは、あらかじめそうすることを知っていたかのように、無言のうちに右手で短刀を持ち上げると、自分の左手の親指に小さな切込みを作り、そしてそこから流れ出る血液を一滴ニ滴とガラス容器の中に垂らした。サシリエルはガラス容器を引き下げ、元の場所に置くと、白くて清潔そうな小さな布切れをホーリィに差し出した。ホーリィはその布で親指の傷口を覆うと、ぎゅっと右手でそこを握りしめた。
次いでサシリエルは傍らから透明な液体の入った透明な瓶をとりよせると、その液体をホーリィの血液が入ったガラス容器にさらさらと流し込んでそれを満たした。ホーリィの血液は、液体の中で球形となり、ガラス容器のちょうど中央の辺りに浮かびあがり、そこから浮くでもなく沈むでもない状態で安定した。
「なにか不正な操作をしておるな?」
サシリエルはそういうと、立ち上がり、ガラス容器の上に右手を開いてかざし、口の中でなにかをぶつぶつとつぶやき始めた。しばらくの間、低くくぐもった彼女の声だけがあたりに漂いつづけた。しかしやがて、液体の中のホーリィの血液がゆらゆらと揺らめき、ついでそれは回転しながら上下に紐のように伸び始め、くねくねとした曲線やねじれを描くと、やがてその奇妙な形のまま、再び安定した。サシリエルはガラス容器の口にこれまたガラスでできた蓋を押し込んだ。中の透明な液体がすこしだけ溢れ出し、そしてねっとりとガラス容器の外側にそって、垂れ落ちた。
サシリエルはガラス容器を持ち上げると、それを傾けたり回転させたり、いろいろな角度からながめ、やがて水平にした状態でじっくりとそれを眺めた。それはあたかも何かを記した文字の形に見えた。
「まごうことなき海賊の血よのう。」
サシリエルはそういうと、ガラス容器から目をはなし、ホーリィをしっかと見据えた。フードによって出来ていた影が消え去り、彼女の灰色の目はホーリィの中のそのまた奥をとらえたような輝きを帯びていた。
「よかろう。わしはお主に道を示そう。北に座する低位星を目指すが良い。さすれば、お主は、信頼を拾うことであろう。しかるのちにそこから東のオアシスを目指すがよい。西にむかっても無意味ぞ。彼らはいま、かの地にはおらんからな。また、直接東に向かうのもまた無意味ぞ。それは手順を踏んではおらんからな。」
サシリエルの言葉は、耳から聞こえてくるというよりは、直接ホーリィの頭の中に響いてくるかのようだった。そして突然、ホーリィは宇宙空間に投げ出された。右手の方から、巨大な宇宙船がゆっくりと進んできた。そこに向かって、上のほうから、数隻のもっと小さな宇宙船たちが、より大きなものに向かって突き進んできた。両者が交錯した瞬間そこに白い光点が生まれ、そして瞬時に巨大化し、そして再びかすかな星々の出す幽玄なまたたきがちらほらする暗闇が訪れた。巨大な宇宙船の居た場所は、いまは砕け散った残骸が漂っていた。そして、数隻の小さな宇宙船達が進路をかえて、高速でホーリィのほうに向かってくるのが見えた。それらの宇宙船はホーリィの体を突き抜けて暗闇の彼方に去っていった。ホーリィは宇宙船達が自分の体を突き抜けるとき、はっきりと見た。それらの宇宙船は木で出来た帆船の形をしていた。そしてそのマストには、黒い三角形の旗がたなびいていた。その旗には、白いしゃれこうべの印が染め抜かれていた。
ホーリィが我にかえると、そこはさきほどの小さな部屋だった。しかし、人の気配は辺りに感じられず、目の前の丸いテーブルの上には、からっぽのガラス容器が置かれていた。ふと、ホーリィは白い布で包まれた左手の親指を右手で固く握っていることに気がついた。白い布を剥いでみると、そこには普段と何も変わらない彼の左手の親指があった。傷口は完全に塞がっていた。というか、傷口があった痕跡が認められなかった。
記憶だけが残った。しかし、それが現実だったのか幻覚だったのか、もはや判定することはできなかった。
部屋の四隅で、オイルランプの炎がゆらゆらとゆらめいていた。
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