「ホーリィ・アクティアです。入ります。」
柄にもなくやや緊張気味のホーリィが、大きくて立派な木製のドアをちょっとだけ開いて、中の様子を窺がうようにミハエルの執務室に入ってきた。
シンプルだが格調の高い応接セットの向こうに磨き上げられた大きな木製の執務机が鎮座していた。机の向こう側は巨大な一枚ガラスのはめ込まれた窓になっており、足元から高い天井までつづいていた。広めの部屋の壁は温かみのある白っぽい色の壁紙が貼られており、左手には大きなユニオンの章旗が掲げられている。右手には書棚がしつらえられており、そこに大量のデータファイルディスクが収蔵されている。その隣にはこの惑星の立体ホログラム地図が浮かびあがっており、なにか意味ありげな赤や青の光点が幾つも明滅している。窓の外には、夕焼け特有の赤色に偏向した光がひろがり、広大な敷地の向こうに幾本もの建築物のシルエットが浮かび上がっている。その前に軍服とも作業服ともつかないユニオンの制服に見を包んだ初老と思しき人物が背中を向けて立っていた。大統領と大統領の部屋って感じだな、とホーリィは思った。
窓際の人物は振り向き、ホーリィの傍まで歩み寄ると無言で右手を差し出した。ホーリィが握手に応えると、初老の男は初めて口を開き、低いがはっきりとした声で名乗った。
「ミハエル・フリントだ。職務ご苦労。まあ、そこにかけたまえ。」
ホーリィは応接セットのドア側の椅子に腰をおろした。ミハエルは執務机の上の書類を手にとり、自身は応接セットではなく、執務机に浅く腰をかけ、そして話しを始めた。
「ここまでご足労願ったのはほかでもない。君が輸送職務遂行途中に送信してきたレポートに関してなのだが、幾つか直接尋ねたいことがあってね。その前に、葉巻でもどうかね。」
ミハエルは、応接テーブルの上にある葉巻入れを目線で示して、言葉を続けた。
「チャーチル&キッシンジャーのハイグレードの奴だ。もし君が煙草をすうのなら、だが。」
「いただきます。」
ホーリィは葉巻入れの蓋を開け、一本つまみだした。葉巻は薄い透明のフィルムで包装され、金色の帯紙には、片眼鏡をかけた太った男が微笑を浮かべて葉巻を咥えている印刷がほどこされていた。フィルムを剥いて、ホーリィはまずその葉巻を鼻の下に水平にあてがい、その香りを嗅いだ。
「これは素晴らしいですね。」
世辞ではなく、本当にホーリィはそう思った。
「気にいったかね、なんなら好きなだけもっていきたまえ。」
そう言うとミハエルは手にした書類に目を落した。それはホーリィの写真つきの人物ファイルで、そこ記されているヘビースモーカーという文字が目にはいった。
「好きなだけ、というのはちょっと曖昧だったな。ニ、三本もっていきたまえ。」
しかし、ホーリィはすでに葉巻をひとつかみ取り出していた。
「ありがとうございます。遠慮なくそうします。」
何食わぬ顔でホーリィはそれら上着の内ポケットにしまうと、テーブル上にあったシガーカッターで葉巻の吸い口を切り、反対側を自分のライターですこしあぶった。芳醇で濃密な香りが煙となってたちのぼった。
「さて、本題にはいろう。4日前の晩、君はグランビア砂漠の座標 2403 x 4385 を通過中に航空機事故を目撃し、これに搭乗していたと思しき人物を救助した。この人物は若い女性で、共通語を理解はしたが、母国語は現代バラミア語のように思われた。なお、このレポートがリアルタイムに行われなかったのは、救助活動の直後に砂吹雪に見舞われ、通信手段が遮断されたためである。ここまでは相違ないかね?」
「相違ありません。なにか問題が?」
ホーリィは吐き出した白色の煙をぼうっと見つめながら、素直な質問を口にした。
「誤解のないように、これは尋問とかそういう類のものではない。事実関係の確認だと思ってもらいたい。実際のところ、当該時刻の当該地域における、異常な航路の飛行物体の存在も、その直後の気象現象もユニオンは事実として確認している。すなわち君の報告に関して矛盾はないと考えている。」
ミハエルは、自分でも葉巻が欲しくなったとみえて、ホーリィの反対側の応接椅子に腰をかけると、葉巻を手にとりフィルムをはがし始めた。そして、その後は書類をみることなく話をつづけた。
「その後、彼女は回復した。そして、そのあと燃料補給のために停車したハモン小集落で姿を消した、とあるね。日付は今から2日前だ。そうだね?」
ミハエルは葉巻の先に火をつけながら、その火のむこうに座っているホーリィを見ていた。ホーリィは葉巻を口からはなすと、はっきりと答えた。
「その通りです。」
そして沈黙が訪れた。しばらくの間、二人の男は押し黙って葉巻を楽しんでいるかのようにも見えた。
ふむ、というつぶやくような声で、先に口を開いたのはミハエルだった。
「ホーリィ、ここから先の話はおそらく君にとって初耳だと思う。そして、この話は次の君の仕事に関わってくる。」
ミハエルはそこまで言うと、ひとくちふたくちゆっくりと葉巻をすっては煙をはきだし、そして続けた。
「今から4日前の晩、古バラミア人の遺跡で発見されたある遺物が発掘現場より盗み出された。グランビア統治府はこの一件を公式発表していないが、ユニオンの独自経路で事実関係が確認されている。ところで、君は、グランビア砂漠地域の歴史はどれくらい知っておるかね?」
ホーリィはかぶりを振った。
「ほとんどなにも知りません。この惑星に着任したのが、ほんの三ヶ月前ですしね。」
ミハエルは、燃え具合いが気にいらないようで、葉巻の火口をまじまじと見ながら続けた。
「そうか。関心があるようなら、あとでユニオ・インターエクスチェンジ網で調べたまえ。ここでは、今回の件に関係のあることだけ述べよう。」
そういうと彼は部屋に対して資料映像の投影を音声で指示した。ホーリィとミハエルの間にホログラムディスプレイが浮かび上がった。
「古バラミア人は、この惑星に入植したもっとも古い人類種として知られている。彼らがここにやってきたのは、ユニオン成立よりもはるかに古い、およそ六千年前にまで遡る。古バラミア人は、人類種ではあったが、我々の系統とは異なる。これは、ある遺跡で採取されたサンプルから試算された彼らの染色体情報の一部だが、この部分の配列が決定的に我々とはちがうものだ。」
ミハエルはディスプレイに表示されたらせん状の立体グラフィクスの一部を指差しながら、そう言い、さらに言葉を重ねた。
「おそらく先史時代に宇宙へと広がった人類の一部が、どこかの宙域で独自進化した結果か、あるいは突然変異した種族かもしれん。実際のところ、いまだに回答は見出せてはいない。しかし、我々とはどこかが違う人類種であったことだけは事実としてここに示されている。そして少なくともその違いは外見ではない。これは、別の遺跡より出土した骨格サンプルから在りし日のかれらの姿を再構築した模型グラフィクスだが。」
ディスプレイの内容は切り替わり、人間の男女の裸の立体映像が現れた。
「男女を問わず我々と彼らの間に見た目の違いは見出せない。」
ミハエルはそこまでいうと、また葉巻を口に持っていった。
「つまり、謎多き民族ってことですかね。その、古バラミア人とやらは。」
ホーリィもまた葉巻を口に運びながら言った。
「謎は遺伝的特徴にとどまらない。歴史的に見ても彼等には謎が多いのだ。彼らは少なくとも五千年前にすでに独自の都市文明を築き上げていた。これはグランビア砂漠に残された彼らの遺構から容易に推察できることでもある。」
ディスプレイには幾つかの遺跡の俯瞰写真と、そこからの出土品が数点現れた。
「そしてその文明は機械文明でもあった。彼らが宇宙からの移民であったという点から、これは当然のことであるし、また、彼らの遺跡の出土品からも分かる事実ではある。問題なのは、その技術が我々とは異なるものである、ということだ。要するに各所から発掘された機械と思しき品々は、なんであるのかを、我々は理解できないのだ。彼らの文明は我々の知識の外に存在しているのだよ、数千年を経過した今現在に至っても、だ。最新の量子論理や今までにしられているあらゆる物理法則がまったく当てはまらないということではない。しかし、それらの知識を以って彼らの証拠品に適用しても、うまく全体像を描くことができず、どこかに破綻が生じてしまう。おそらく何か決定的な前提条件が異なると見られている。そしてそれは、かれらの遺伝的特質とは無関係ではないだろう。」
部屋の中にひっそりとうす暗闇が忍び入りつつあった。昼でもない夜でもない中立的な時間がおとずれていた。流れがとまったかのような時間が空間を浸していた。それはやがて訪れる夜への通過点であることは明白ではあるが、その瞬間において時間の流れが消失したかのようであった。
いつのまにか、部屋の二人はそれぞれの内にある五千年前のバラミアの王国に思いを馳せていた。
先に現実に戻ってきたのはホーリィの方だった。
「それで、何か私の次の仕事がどうとかおっしゃってましたが。」
ミハエルの意識もまた、ホーリィの言葉でこの部屋に戻ってきた。
「そうだったな、話を続けよう。そのように謎の多い古バラミア人とその文明は、多くの謎を残したまま歴史の表舞台から去り、そのままそこにもどってくることはなかった。彼らの文明の名残は、わずかに現代バラミア語に片鱗をみることが出来るだけだ。しかし、その現代バラミア語を話す人々の中には、彼らの直系子孫とみられる者がまだいる。そして、例の盗まれた遺物とその直系子孫が、ある仮定のもとで結ばれたとき、我々ユニオンとしては無視できない状況が生まれる可能性があるのだよ。」
二人の手元の葉巻のほとんどは、灰になっていた。良質であるがゆえにその灰はこぼれおちることなく、もとの形を維持していた。
「ああ、それを尋ねるのを忘れてましたよ。盗難に遭った遺物とは一体なんなのです?」
ホーリィは短くなった葉巻を卓上の灰皿に捨てた。ミハエルもまた、同様に、しかしホーリィよりはより念入りに葉巻をもみ消しながら答えた。
「簡単に言ってしまえば、ある種の武器か兵器の類、と見られている。現段階の情報源を全て精査してもそれはあくまでも推測の域を出ない。しかし、それが大昔の武器であることが重要なのだよ。そしてその当時の技術が我々にとって把握困難であることが最大の問題なのだよ。」
ホーリィは黙ってミハエルの言葉の続きを待った。ミハエルは立ち上がり、窓辺へと歩み寄ると、暗くなりつつある外の景色を眺めるともなく、話を続けた。
「現代バラミア語を話す文化圏に属する民族の多くは、今では砂漠を放浪する民だ。そしてその生活様式は、いわゆる機械文明とはとてもいえない。こういってはなんだが、我々の基準から見れば、非常に原始的なスタイルといえるだろう。それ故に、この都市のような軍事的な存在で威圧しつづけることができた。少なくとも、これまではそうだった。しかし、この武力による威嚇政策は、古バラミア人とその謎の文明への畏怖からくるものが大きい。ありていに言ってしまえば、歴代の国家権力は皆おしなべて、太古の痕跡から来る得体の知れない恐怖に突き動かされて、バラミアの人々に対する抑圧政策を行ってきたということだ。その結果、これらの勢力間では表面上は平穏にみえても、精神面では常に戦争状態だったと断じても過言ではない。そして、仮にバラミアの子孫達がバラミアに由来する武器を手にしたとき、この均衡は大きく崩れることが予測される。そしてこのような不安定な状態を我々ユニオンは好まない。」
徐々に全貌が見えてきた話の内容に、ホーリィもまた引きこまれるように立ち上がり、そしてこう言った。
「私の次の仕事とは、つまり、グランビアの統治府当局に肩入れして、問題の芽を摘み、この均衡状態を維持することにあるのでしょうか?」
ミハエルは振り向きもせず、しかしはっきりと否定した。
「いや、そうではない。ユニオンの理念と行動規範に内政干渉という文字はない。しかしながら、ユニオンがこの地において今後も活動を維持しようと思うならば、事実関係を明白にする必要があるだろう。そして、場合によってはより形成の有利な勢力に歩み寄らなければならないだろう。しかしその判断を下すのはユニオン上層部であって、君の仕事ではない。君に依頼したいのは、事実の探求だ。バラミアの人々が何かを入手したのか、そうであるなら、それはなんであるのか、そして彼らはそれをどのような目的で入手したのか。これが今必要とされている事実関係である。今この時点を持って、君はルーティンワークである陸運業務から一時的に解放される。しかしすみやかに探求行動にその身柄を移行することが望まれる。これはユニオンの正式な探求依頼の発令である。君がユニオンのメンバーである限りにおいて、これは受諾以外の選択肢がない。そしてこの仕事の重要性はランキングゼロと認定された。」
ミハエルの口調は厳格で、そして明快だった。ホーリィは軍隊の特殊部隊が上官の命令を聞くときのような神妙で感情のない表情になっていた。
「私が救命した彼女が関係ある、とお考えなのですね?」
「盗難事件のあった遺跡と、君の報告した墜落現場の位置関係、事件の発生した時刻と君の報告した救助活動の時刻、そして、君が観察し報告した彼女の状況。この三点を考え合わせるだけでも十分に興味深い。そして君は彼女の“ガルティ”を目撃したはずだ。その中身がなんだったのか、安易に想像するのは危険でもあるがどうしても特定の物が思い浮かぶ。そして最後に君のトラックに残されていた彼女の治療記録だ。精査の結果、彼女はほとんど100%という確率で、古バラミアの末裔であることが分かっているのだよ。」
この言葉をホーリィは重苦しく受け止めた。最後の一言は、つまり、彼のトラック、というよりもケイがユニオンによって侵入されたことを意味していた。もちろんそのようなことがシステム的に可能であり、ルールとして認められていることをホーリィは知っていた。しかし、理性と感情が対立した。
「明朝までに今回の仕事に関しての行動計画書を提出したまえ。それとこれは余談だが、いかに規則として問題ないとはいえ、本来提出義務のない記録に無断でアクセスした件に関しては、個人的には詫びておこうと思う。それから、ついでに君の積荷に対するちょっとした悪戯が明るみに出ることになったが、これは私の権限において不問に付すことにする。ただし、それは、緊急時の必要かつ十分な人道的配慮の結果であるという私の個人的判断に過ぎない。その、なんだ。」
とつぜんミハエルの声が親しげにくだけた口調に変わった。
「私も若い頃はトラック乗りでな。若気の至りというか、似た者同士というか。だから、まあ、君の肩をもったわけだ。でも、君の手際はその部分に関してはちょっと不注意だったと思うね、ホーリィ。次はもっとうまくやりたまえ。ところで、あれは美味いのかね?」
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