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ビーユシナナ・アクゥ:第零章


イーユ・ナ・バラム
〜二人のナ・バラム〜

 アクティアヌスは急に立ち止まり、なにかを探るように壁に手を当てて呟いた。「居た。アリューシャを捉えた」
 そうして、岩盤をくり貫いて作られた地下通路を一目散に駆け出した。幾つもの角を曲がり、階段を上り下り、そして最後に一つの扉の前に達すると大剣引き抜きこれを断ち割った。
 そこはほかに出口のない小さな小部屋で、壁際に据え付けられた書き物机に向かっている小さな小さな背中があった。
「来たか、アクティアヌスよ」小さな背中が振り向きもせずに言った。ようやくビューイも追いついてきて、部屋の中を覗き込んだ。
「ネウインベーグの黒き誉れよ。我が罪を処断しに現れたか?」
 ナズラバロッサ・アリューシャは小さな背中を丸めたまま、書き物机に手をついて立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。
 ビューイはその姿に愕然とした。見たところアリューシャはただの小さな老人だった。ゆったりとしたバラミア衣装に身をつつんでいるとはいえ、その中には老いさらばえた肉体が弱々しく脈打ち、立ち上がる事すらやっとの様子で全身が僅かに震えてさえいた。
「礼は示した。腰掛けても良いかね?」
 アクティアヌスは頷いたが、しかし剣を収めようとはしなかった。
「先回りをするようで申し訳ないがな、アクティアヌスよ」老人はため息まじりに弱々しく言った。「我はオパーラ・ナトゥーラムを、持っておらぬぞ。故に汝が斬りたければ、我を斬るが良い。我は容易に輪廻の道に進むであろう」
 アクティアヌスは何も言わず、ただ黙って老人を鋭く見つめていた。
「信じぬか? 無理もない。魂の輝石を欲する者があるとすれば、それは他でもない、生命の求道者たる我しかおらぬからな。無論、我とてそれを望みはした。しかし彼はとうとうそれを許さなかった」
「彼と言ったか? バロモニアのことか?」アクティアヌスは言いながら、じりっと一歩にじり寄った。
「彼とは誰か、それは言えぬ。我と彼の盟約じゃからな。しかし、アクティアヌスよ、黒き誉れよ。もしも汝が真の名誉を解する者であるならば、我が罪の贖いは我が手において行わせてはくれまいか? そして願わくば…」アリューシャは書き物机の上に広げていた書物を手にとり掲げると「あと数枚でこの書物が完成する。それまでいくばくかの猶予を願えまいかな?」
「それはなんだね、おじいちゃん」思わずビューイが口を出した。
 アリューシャは目を細めてビューイを見やると「これは言わば設計図面といえるもの。この世に生けとし生けるもの全てに共通のな」それから再度アクティアヌスの方を向き「アクティアヌスよ、黒き誉れよ。汝には分かっておるはず。この老いぼれが汝に抗する力も術も気力さえも既に失っておることをな」
 その時、ビューイは別の声を聞いた。いや、声が頭に直接響くのを感じた。
(登ってこいアクティアヌス!)
 それはとても強い想念の言葉だった。バラミア人の心の声があまりに強く、ビューイにまでも感じられるほど強く、どこからか発せられた。
(登ってこいアクティアヌス、ネウインベーグの黒き誉れよ。その老人はそちの敵ではない。我こそ、そちの好敵手たりえるもの、ネウインベーグのもう一方の雄、赤き誉れぞ)
 その声は明らかにアクティアヌスにも届いていた。彼は大剣を背に収め、そしてビューイに言った。「彼を、アリューシャを見張っててくれ、ビューイ。アリューシャの言葉には微塵の嘘偽りの影もない。しかし、もし彼が君の身に害成すような事あらば、遠慮する事は無い」
 アクティアヌスはそう言って部屋の外へと飛び出していった。
「黒き誉れが討ちに行ったか、赤き誉を」アリューシャはそう呟くと、ペンを握り一心不乱に書物の残された空白を埋めにかかった。

 寝床の中でハリが目を開けた。彼もまたバロモニアの声を聞いたのだ。ハリは寝所を抜け出して外に出ると、遠くベルダンギアの夜空をうかがった。
 オベルザリアもまた声を聞いた。そしてヴォセバラミアの額に手を乗せたまま呟いた。「いよいよか…」

 アクティアヌスは地下の通路を駆け抜けて、長い長い階段を一足跳びに駆け上がり、息乱れる事も無く、はるか向こうで待ち構える赤い姿を見据えた。
 そこは、まるで地下をくり貫いて作られた闘技場のよう。しかし物見のための席はなく、四方は断崖絶壁となって奈落の底へと落ち込んでいた。
「ここはな、アクティアヌス」彼方のバロモニアが声を張り上げた。「ヒトどもの教練に使っている場所だ。戦場ではないが、戦いの場ではある。我とそちに相応しかろう?」
 アクティアヌスは奈落に浮かんだ闘技場へと懸かるただ一本の細い石橋の上へと歩を進めた。

「書きあがったのかい、おじいちゃん」ビューイは、アリューシャのペンの運びが止んだのを見て尋ねた。
「いかにも」そう言って振り向いたアリューシャは、満足げに長いため息をひとつ。
「なんにせよ…」ビューイは葉巻を一本取り出して、そいつに火をつけ「なにかを完成させるってのは、いいもんだ。素直に言うよ、おめでとう。お祝いに葉巻をどうだい? お代はいらないよ。おれの奢りだ」
「いただこう」
 ビューイは枯れ木のようなアリューシャの手に葉巻を乗せてやった。
「ひとつ、質問があるんだがね」ビューイはアリューシャのくわえた葉巻の先に火をつけてやりながら「どうやら彼らは一騎討ちするみたいだけど、ここはあんたらの城だろう。どうして、力にまかせて俺達をぶちのめそうとしないんだい?」
 アリューシャは煙を一筋、しわくちゃの口から立ち上らせて「汝らはヘテラソベスを既に打ち倒したであろう。奸計を弄するのは、あやつの仕事。あやつ亡き後、我らにかような思いつきは出来ぬ。少なくともここではな。それにもまして…」
「ふむ?」
「それにもまして、あやつらの魂は武人なのさね。純なまでにな」

 アクティアヌスは大剣ジークハルバラードを右に、小剣ジークデルグラードを左に構えた。
「ほう、いきなり二本剣を繰り出すか…」バロモニアは薙刀をぶら下げて、ゆっくりとゆっくりと近づいてきた。
「君主の血筋に、刃をどこまで向けることができるかな、アクティアヌス」
 唐突にバロモニア、アクティアヌスの目の前に出で現れ、一太刀二太刀と鋭い打ち込みを浴びせる。これにはたまらずアクティアヌスはかろうじて大剣を合わせてこれを凌ぐ。
「そちの大剣は攻めの剣ではないのかな? それともヴォセバラミアの盾となり、守りの剣に転じたか?」バロモニアは高く笑い、笑いながらも攻めて攻めてまた攻める。その薙刀はまるで生ける蛇でもあるかのように、鎌首をもたげ、しなり、唸りを上げる。
 刃と刃は火花を散らして星となり、二人の闘気が闇を照らす。
 アクティアヌスはといえば、紙一枚で避けかわし、また刃先を刃先で受け止めながらこれを流し、攻めぬがまでも押し戻し、しばし睨み合ってはまた切り結ぶ。
 鋼と鋼がぶつかり合い、空を切り、それが暗闇の底へと木霊する。

「はじまりおった」アリューシャは頭上を見上げて、まるで天井を見透かし、戦いを見てるかのように言った。「我の死はどちらに共することになるかな?」
「アクティアヌスは、まだ死ねないさ」ビューイは、ぷうっと煙を吹き上げて言った。「俺には分かってるんだよ、おじいちゃん」

 黒きアクティアヌスと赤きバロモニア、双方構えを崩さぬままに相対してそばだつ。
「どうしたアクティアヌス。一向に攻め入って来ぬではないか」
「我がジークの剣は攻守両道の剣技。しかしあなたの剣はバロモニア、斬って斬って斬りかかるのみ。転じるならば攻めねば勝てぬ、ただそれだけのこと」
「ぬかすわ、アクティアヌス」
 二人の武神は、また斬り結ぶ。

「もうひとつ疑問があるんだがね、おじいちゃん」
「なにかね坊や。言ってご覧」
「どうして歳とってるんだい?」
 アリューシャは初めて愉快そうに笑ってみせた。「アクティアヌスはなんと申したかな?我のことを」
「一線を越えて命を弄んだと」
「当たりじゃ」アリューシャはそう言い、まるで遠くを見つめるように「一線を越えて弄び、そして平等に弄んだ結果がこれよ。彼我の命を分け隔てなくな」

「さては迷っておるなアクティアヌス」
 今しがたまで頭上にあったバロモニアの刃先は、一瞬後には横から飛んでくる。
「我が、持っておるかどうかを。魂の輝石を」
 そして刃先は今度は下から跳ね上がってくる。
「無理も無い。我が持っておるならば、命を捨てねば打ち倒せぬからな。ジークの二本剣と共にな」
 アクティアヌスは鍔を競り合い跳ね上げて、バロモニアの顔面を払いつつ「一刀打ち込めば分かる事。そこに迷いは微塵もなし」
 すかさず体勢建て直し、バロモニアは薙刀を打ち下ろす。「ではサシリエルを案じているか! 我が姉君の事を! 弟を失わば、いくばくのほど嘆こうかと」
 アクティアヌスは小剣で薙刀を受け止めた。その薙刀がくるりとまわり、刃先と反対側にある石突が這い上がって、アクティアヌスの左手をしたたかに強打し、小剣ジークデルグラードを激しく跳ね飛ばした。
 小剣ジークデルグラードにしてアクティアヌスの守り刀は奈落の底に消え落ちて沈んだ。

「我はヒトを作った。ヒトは我らに似せて作られた。しかし、それはどの我らにか? 申すまでもない。ヒトに最も近いバラミア人はこの我よ」アリューシャは問われるまでもなく語りつづけた。「我はヒトにしてヒトは我なり。時を経て然るべき時至りなば、ヒトはきっと手をだすじゃろう。命の領域にな。ところで、坊や…」アリューシャは目を細めてビューイをじっと眺めこみ、それから続けた。「ヒトのつくり手としての我の目だけは欺けぬぞ。汝は、ただのヒトではあるまい?」
 ビューイはただ肩をすくめただけだった。

「うかつなことよ、アクティアヌス。ジークの剣は二本そろってこそのもの。その一本の大剣では、思うが如きは戦えまい」
 アクティアヌスは左手を、唯一本だけ残された大剣ジークハルバラードに添えて、両手持ちに静かに構え、そして言った。「あなたにお目にかけよう、真のジークの攻めの剣を」
 アクティアヌスがそう言うと、大剣ジークハルバラードは一瞬真っ赤に燃え上がり、そしてすぐさま暗黒に変わった。
 ゆっくりと、さらにゆっくりとアクティアヌスは踏み込んだ。しかし、バロモニアの動きはさらにそれより遥かに鈍かった。寸分の狂い無く打ち込まれた大剣を、バロモニアは受けるので手一杯だった。そしてその一太刀は、いとも容易に薙刀を分断した。バロモニア、瞬時にそれを打ち捨てて、背の盾かまえ腰の剣を引き抜くが、戻りあがるジークハルバラードがそれを下から上に切り上げる。
 バロモニアは盾と一緒に二つに斬られ、地響きたててその場に崩れ落ちた。

「終わったか。わしの道連れはバロモニアか」アリューシャはそう言って、ごそごそと懐からなにかの粒を取り出した。
「さて、坊や。名残惜しいがお別れじゃ。輪廻の道のどこかで邂逅あるようならば、またその時はよろしくの」そう言って懐から取り出した粒を飲み干した。
「最後の葉巻は美味であったぞ」それがアリューシャの最後の言葉だった。

 アクティアヌスは長い間そこに立ち尽くしていた。
「アリューシャも旅立ったよ、分かってると思うけど」いつの間にか背後にビューイが立っていた。「つまりここには魂の輝石・オパーラ・ナトゥーラムはないよ」
 アクティアヌスは振り返り無言で大剣を仕舞い、それから腰の小剣の鞘を取り上げ、しばし見つめてそれを奈落へ投げ込んだ。

 二人は再びアリューシャの小部屋へと戻った。床に倒れたアリューシャの顔には満足の笑みが浮かんでいた。
 アクティアヌスは大剣を引き抜いて胸にかざして黙祷した。
 ビューイはアクティアヌスの気がすむにまかせ、それが終わると見るや、アリューシャの書き物机の縁に掘り込まれた飾りの一つにそっと触れた。
 背後の入り口が青白く発光し、水の流れる鏡のようになった。
「これは?」
アクティアヌスの問いかけにビューイは「小さなアウターディメンジョンだね。そう言っても分かってもらえるかどうか知らないけど」
「なぜ、その仕掛けを?」
「さっき思い出したんだよ。なにしろ…」ビューイはまた葉巻をくわえて火をつけた。「なにしろ、前にも来たことがあるからね。でも随分前のことだけど。」
「言ってることが分からないのだが」
「いいんだよ、今は分からなくても。それよりも先へ進もうぜ」
「どこへ?」
「四人目のナ・バラムのいるところさ」
 ビューイはそう言って入り口に出来た揺れる鏡の中へ姿を消した。
 アクティアヌスもそれを追い、鏡をくぐりぬけた。
 冴え渡る満天の星空が頭上に広がっていた。
 周りには石造りの建物があり、遠くに広場と一本のちっぽけな木が見えた。
 葉巻の香りが漂ってはいたが、ビューイの姿は見えなかった。
 彼は振り返った。バハラジーアの壮麗な大軍門が、アクティアヌスを静かに見下ろしていた。


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