闇夜にまぎれてバハラジーアを後にしたアクティアヌスとビューイは、時間にしておよそ二つの鐘の鳴る間、距離にしておよそ百ニ十里を駆け抜けて、朝が来る前にガルザハッシュ山麓に広がる平原のほとんどを横断し切った。
「アクティアヌス」後ろから、ビューイが声をかけた。「あたりも明るくなって来たし、軍馬もおれも腹が減った頃合だ。旅路を急ぐ気持ちもわかるが、物事には節度ってもんがあるよ」
ビューイの言うとおり、いかな屈強を誇るバラミア馬とはいえ、進軍の速度に衰えがあるのは、アクティアヌスも感じていた。
ビューイはわざとらしく周囲をきょろきょろしてみせて「少し立ち止まってあたりをうかがったほうがいいとは思わないかい? いくらなんでも、ここまでの間に敵兵士はおろかその痕跡にも出くわさないのは、おかしいとは思わないかい?」
「この先に、物見の岩山がある。そこは我らが一息つくに格好の場となろう」
二人はいましばらく駆け進んだ。
やがて背の低い緑草が柔らかくる地面のそこかしこにごつごつとした岩場が見られるようになってきた。草原は間も無く終わりを告げ、その境界の向こうには鬱蒼とした森林地帯の始まりがあった。
アクティアヌスが馬を止め「あれだ」と指差した先に、ところどころ点々と緑に覆われた大きな岩の山がもっこりとあった。岩山の頂には、さらに一際高いでっぱりがあり、そこだけはまるで尖った塔のようにもみえる。
「こっちだ」アクティアヌスは馬を下りてその手綱を手にし、愛馬ネメシスを引いて右手に見えるくぼ地に向かって歩み始めた。
ビューイは馬上からその背中に声をかけた。「あの岩山に行くんじゃないのかい?」
「あの岩山に行く。しかし、あの岩山に行く路はそっちにはない」
ビューイもまた馬を下りて、無言のままアクティアヌスの後に続いた。くぼ地の底にはすこしばかり背が高い草が生い茂り、二人は腰のあたりまで沈み込み、草の池を掻き分けながら進んだ。
「ここだ」
そう言ってアクティアヌスが歩を進めると、その姿は草の中へと沈んでいき、それに続くネメシスの大きな馬体も消えていった。草地に隠蔽された地下への傾斜路がそこにあった。下りの傾斜はやがてすぐに水平のトンネルになった。トンネルの中は広く、かすかな風の流れがあって、空気はからりと乾いていた。適度な間隔で設けられた採光孔の奥に何かの光源があるらしく、トンネル内部を照らしてしていた。
トンネル内をしばらく直進すると、進路は緩やかに螺旋を描きながら上昇に転じ、やがて自然光が差し込む出口へと辿り着いた。そこは岩山の中に大きく穿たれた巨大な洞で、そそり立つ岩壁がぐるりとあたりを覆っていた。しかし天井はなく、そこからまだ昇りきっていない赤みがかった朝の日差しが内部に注ぎ込み、足元に生い茂った草地を輝かせていた。まるで天然の小さな城砦のようなつくりで、なるほどこれなら周囲から内部を覗き込むことは出来ないように思われた。
二人はそこで軍馬を放した。軍馬たちは足元の草を食んだり、あるいはその場に座り込んだりなどして、彼らなりの休憩を取った。
「我らは高みに行こう」
馬の背から荷をはずして背負ったアクティアヌスに促されて、ビューイは今入ってきたのとは別の、ヒトの背より少し高いくらいのひとまわり小さな穴へと向かった。その内部には螺旋階段があり、上へ上へと続いていた。どうやら、外から見たときに尖塔のようにみえた岩のでっぱりの内部につくられた階段のようだった。
やがて二人は岩の塔の最も高い地点に到達した。大きな物見用の窓が壁に穿たれていた。アクティアヌスはその窓辺まで行って「この窓は外からは岩のようにしか見えない。こちらから外は見張れても、外からこちらを知ることはない」と言い、その窓辺に腰を降ろした。
ビューイもまた窓辺に寄り、しかしアクティアヌスとは反対側に座した。
窓の外を見ると、眼下には大きな森林地帯が広がり、夜の間の冷気をまだ明けきっていない空に向かって放射していた。その森がどこまで続くのか、朝の薄明かりの中で遠くはまだ煙ってしかみえず、ビューイには見当がつかなかった。
「食事をとるといい」アクティアヌスはそういい、自身も持参した皮袋の中からなにかの干した肉片のようなものをひとつ取り出して、それをかじった。
ビューイは携行した簡易食料の銀色の袋から飛び出ているヒモを引っ張って、食事の準備をした。袋はすぐにふくらみ、熱を帯び始めた。
「変わった食べ物だな、それは」岩の壁に寄りかかって、半ば足を投げ出し、腕組みして片目を閉じたアクティアヌスが言った。
「そうかい? 俺たちの世界では、ごくありきたりのレーションなんだけどね。それよりおまえさんは、たったそれっぽっちのジャーキーをかじって食事は終わりかい? 食い物がないんなら、少しばかりお売りしても構いませんがね」
アクティアヌスは苦笑を浮かべて「これだけで十分なのだ、我らバラミア人は。君たちヒトは、その存在のために肉体の占める割合が大きい。だから食わねばならん、我らよりもな。我らは精神の比重が肉体よりも大きい。だから瞑想もしなければならない、君たちの言うところのな。我らにとっては、むしろ精神の平静を得るのがより本質的な食事と言えよう」そう言って、残りの片目も閉じた。
ビューイは肩をすくめて銀色の袋をやぶり、ほかほかの食事にありつきそれをすっかり平らげると、葉巻を取り出して火をつけた。
「それはなにか?」
アクティアヌスは目を閉じたまま言い、ビューイは葉巻をくわえたまま答えた。「煙の草と書いてタバコだよ。気に入らんかね?」
「いや、タバコならハリもやる、たまにだが。でも、形がそれとは違うが」
「まあ、いろいろあるからね。ともかく、精神の平静を得るにはこれがいいんだよ、俺にはね」
それっきりアクティアヌスは黙りこくった。
ビューイもまた、葉巻を途中で吹き消し、その吸いかけをケースにしまうと、しばらく眠り込んだ。
バハラジーアの鐘楼の鐘が幾つ鳴ったかは分からないが、ともかくビューイが目覚めたとき、太陽はとうに高みにあり、陽光が溢れていた。アクティアヌスは窓辺に立ち、両足を軽く開いて両の手を後ろにまわして組み、じっと森林の方を見据えていた。
ビューイは起き上がり、アクティアヌスの横に立って彼の視線の先を眺めて「あの森はなんていうんだい?」
「神聖森林、ヴェグスタベール」アクティアヌスは短く言い、それからまた「しかし、汚されている」
「どういうことだい?」
「見てれば分かる」
アクティアヌスの言ったとおり、ほどなく森林のところどころから幾筋もの煙が立ち昇りはじめた。
「あの森で何かが行われている。自然の理から外れた何かが」
「敵軍かい?」
「恐らく」
「なにしてんだろ? 昼食の準備?」
「森を作り変えている、己らの都合に合わせて。それから、多くの工人の気配を感じる。者つくりのヒトたちの気配を」
「敵陣があそこにあるって訳か、どうするね?」
「ヴェグスタベールに入って夜を待つ。ヴェグスタベールまでの道のり、ナ・バラムは警戒していない。然る後にそこで何が起きているかを見定める。バハラジーアの助けになるかもしれないから、それに…」そこで区切ってまた続けた。「どのちみあそこは、我らの通らねばならぬ道ゆえ」
それから間も無く、アクティアヌスとビューイはヴェグスタベール森林へと入った。森は高く伸びた木立に覆われてはいたが、密林というほどではなく、軍馬に乗ったまま進むことができた。厚く積もった腐葉土がバラミア馬の逞しい蹄の勇壮な闊歩音を消してくれはしたが、ときおり踏みつけられた小枝が折れる音はいかんともしがたかった。時おり遠くから、逃げ惑うような鳥たちの羽音や鳴声が聞こえ来た。
木立の作る薄暗がりに黒装束の二人はうまく溶け込み、押し黙ったまま歩を進めていた。
しばらくして、突然アクティアヌスが何かを見つけて立ち止まった。ビューイもその奇異な植物を認め、低い声で言った。
「あれはなんだね、アクティアヌスの旦那」
二人の少し先の右脇に低木の茂みがあり、そこには、放射性物質が暗闇で発するような毒めいた美しさを持つ青白い光の小さなランプが幾つも幾つもぶらさがっていた。
「ベール・ベリィ。木の実だ、本来は。しかし、作り変えられている、別なものに」
「ほうほう」
ビューイは馬から下りて「心配しなさんな、でも、ちょっと待っててくれ」というとその茂みに近づいた。
遠目にビューイはなにかぶつぶつと呟いているように見えたが、すぐに戻ってきて言った。「どういう仕組みか分からないが、結論としてあいつは爆発物に作り変えられてるようだ。もっともそれなりの衝撃を加えなければ安全だけどね」
「なぜ、そこまで分かる?」
「調べたのさ。さあ、行こうか。でも気をつけなきゃな。この森には他にも危険物が仕込まれてるかもしれないぜ」
ビューイの言ったとおり、それから彼らは、ばね仕掛けのワナのようになっているイバラや、通ったものに巻きついて締め上げる習性を持たされたつる草などを見つけたが、アクティアヌスがその都度注意を与え、決してそれらに引っかかることはなかった。
やがて二人は切り立った断崖の上にでた。そこで森は垂直に落ち込み、その底は平らかに切り開かれていて、小屋や機械設備らしきものがいくつも立ち並び、ときおりあちこちから細い煙が立ち昇っていた。そこらじゅうに動き回る大勢のヒトの姿があり、その中心に得体の知れない大きな機械装置見えた。
巨大な溶鉱炉が其処かしこに備え付けられていて、人足たちが何十人がかりで、そこに大きな大木を何本も何本も落とし込んでいた。大木は燃え上がると同時に溶けた金属の流れとなって染み出し、溶鉱炉の下流で板や棒へと加工されていた。その金属板や棒は別の場所へ運ばれると、さらに細かい別のなにかへと加工され、最後には中心におかれた大きな機械装置に取り付けられているようだった。
「分かるか? あれがなにかを」
アクティアヌスの問いかけにビューイは頷き、「四つの巨大なローターがあって、それが真ん中の胴体を支えている。どう考えてもこれは巨大な飛行機械だな」
「空を飛ぶというのか?」
「そおさ。見たことないのかい?」
「ない」
「宇宙船があるのにかね?」
「宇宙を飛ぶのと空を飛ぶのは違う自然の力を使う。バラミアは宇宙は飛べるが空は飛べぬ。バラミアから教え請うているヒトとておなじこと」
「なんてこったい。じゃあ、バハラジーアには防空兵器はないのかい」
「かつて空から攻撃されたことも、したこともない」
「そいつぁやばいぜアクティアヌスの旦那。いいかね、もし俺が敵将であんな巨大な飛行兵器を手にしたらどんな戦略を立てるか教えてやろう。まず、地上軍が城壁を攻める。バハラジーアの地上部隊はいつもどおり、その防衛に乗り出してくるだろう。そして、いつもどおり城壁は堅牢で安泰だ。しかしその時バハラジーアの中はどうなってる? がら空きだぜ? そこに死肉狙いのハゲタカよろしくあいつが空から舞い降りて、空き巣狙いの盗人よろしく敵兵部隊がそこからぞろぞろ現れたらどうなる? それにしても、だ…」ビューイは一気にまくしたてた後、すうっと息を吸い込み、また言った。「旦那の言うとおりだとすれば、なんだって、あんなもんが作れるんだね?」
「作ることはできるだろう、あそこにヘテラソベスがいるならば。そして、彼はおそらくあそこのどこかにいるのだろう」
「誰だね?」
「ウーユ・ナ・バラム、すなわち三人のバラミアに有らざる者達の一人にして、かつてバラミアの中で一番の工人だった男、シンダーリニア・ヘテラソベス。彼の技術の指導があれば、ヒトの身でもあのような働きができよう。しかし…」
「しかし? なんだい?」
「作ることには秀でていても、発明することの才はない、ヘテラソベスは。そのような知識をどこで得たのか」
「いずれにせよ、だ」ビューイは吸いかけの葉巻をとりだして、しかし火はつけず、口にくわえて続けた。「あの、ばかでかい飛行機械をなんとかしなきゃね。そうしないとバハラジーアは陥落だ。ついでに、そのヘテラなんとかさんも、どうにかしなきゃね。そうしないと、また同じものがどこかで作られる」
アクティアヌスは頷き、「いずれにせよ、夜がくるのを待とう。それまでに下へとくだる道を探しておこう」
「オーケー、賛成だよ」
二人は断崖上を回りこむようにして森の奥へと消えていった。
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