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ビーユシナナ・アクゥ:第零章


ウーユ・ナ・バラム
〜三人のならず者〜

 バハラジーア城砦の攻防も、すでに今日で三つの日を数え、そして夜が来た。
 バラミアの軍は皆士気高く一騎当千の兵揃いで、この三日の間に六万八千余の敵を討ち倒していた。それにも関わらず、日夜押し寄せるナ・バラムの軍勢は、その数を減らすどころか、むしろ日に日に増えつつあるようにすら見えた。
「なんとも、いまいましいことよ。倒しても蹴散らしても、次から次へと増援されおる。きゃつら、地からでも湧いて来るのか」
 ネウインベーグの豪腕と謳われた男、ドミスタギウム・ヘイムグプタが、手にした大きな戦闘斧の柄で地面をずんと突き鳴らして言った。
「もはや太古の禁忌の技を用いてるとしか思えぬ、ナ・バラムのアリューシャがな」
 円卓を挟んでちょうど反対側に座している、ネウインベーグの知性と謳われた男、グァンタグノミヌス・オベルザリアが、静かな口調で続けた。「なにせよ、あのものアリューシャこそが、そもそもヒトの種を作った張本人。ヴォッサを操るもヒトを増やすも如何様にでもできようて」
「しかし、先生方。禁忌の技は禁忌であるが故、これは封印され棄却されたはず。それともヒトであるこのわが身では、うかがい知れぬ深遠な何かがあるのでしょうか?」
 ネウインベーグのヒト長である、ハッシュナガース・エルダリンド三世の発言を受けて、オベルザリアはまっすぐに長く垂らした己が純白の髪の毛を手に取ると、その先を見つめながら考え込んだ。
 ハリが目を閉じながらゆっくりと右手を挙げ、それから言った。「いまだ目覚められませぬ故、あの方の禁忌の法力もまた停まってしまっておられるのでしょう」
 オベルザリアがようやく口を開いた。「ヴォセバラミアのことを申しておるのか、クァンタギオン。確かにそれはあろう。しかし、まだ他にも別のことがあろう、恐らくな」
 ヘイムグプタが、大きな目玉をぎょろつかせた。「どういうことかな、知恵者オベルザリアよ」そうして、いつもは自慢の己の長いあごひげを今だけは邪魔者でもあるかのように落ち着き無くいじりはじめた。「他にもある別のこととな?」
「左様…」オベルザリアは、その場の一同をひとあたり見回した後、その視線をヒト長の上で止めた。「エルダリンド卿にお尋ねしたい。かつて我らがヒトに委ねた幾つかの品々がございましょう。以前申し伝えましたとおり、それらの検品はしていただけましたかな?」
「それは先生、ここに所持して来ております。古から伝えられし宝物殿の検品結果にございます。」エルダリンドはそう言いながら、緋色の軍礼装服の懐から綺麗に折りたたまれた紙を一通取り出すと、円卓の中央にそれを置いた。まだ一度も開かれていない事を証明する蝋封がしてあった。「宝物殿の検品は実に百二十年ぶりのことでございました。先生方にとられましては泡沫のような間でも、私どもから見ますればそれは祖父の代にあたります。」
「拝見させていただく」オベルザリアは蝋封を破りそれを広げ、そこに記載されている品々の一覧にしばし目を注ぎ、最後にひとつ深いため息をついた。「思ったとおり。オパーラ・ナトゥーラムが記載されておらぬ。あの霊魂の輝石がな。」
 ヘイムグプタがまた大斧の柄を打ち据え、石床を激しく揺らした。「持ち出したのか、あやつらナ・バラムの三悪漢が! ヴォサバラムを僭称し、国を二つに割ったときの騒ぎに乗じてのことか!」
「恐らくな」オベルザリアは、そう言いながら己が髪の毛先を見つめ、また言った。「アリューシャか、バロモニアか…。それともヘテラソベスか。いずれの誰かが持ち出して、濫用しておるのであろう、その力をな。まさしくバラミアにあるまじきもの、ナ・バラムなことよ。あやつらは殺されるそばから兵を生み出しておる。なんとも自然から外れたことを…バラミアの中に生じた穢れのしみよ。しかしそれは、今や大きく広がり始めておる」
「この帝国に王女はあっても王はいらぬ。ヴォセバラミアこそ正統なるもの、ヴォサバラムなど言葉の遊びに過ぎぬ」
 ヘイムグプタの言葉にエルダリンドの言葉が続く。「いかにもまさしくその通り。しかしながらヴォセバラミアは目覚める気配すらございません。あの方こそ帝国臣民全ての心のともし火。このままでは皆、暗闇の中で気持ちが凍え、果ては道すら見失ってしまうでしょう。知恵者の先生、ヴォセバラミアは目覚められぬのでしょうか。」
 オベルザリアはうーむと一声唸ってから言った。「あれもまた、オパーラ・ナトゥーラムの悪用の結果よ、恐らくな。さもなくば、いかにナ・バラムと言えども力及ばせることは叶うまい、ヴォセバラミア相手にな」
「いずれにせよ…」ハリがまた、目を閉じたまま発言した。「取り返さぬ訳にはまいりますまい、霊魂の輝石を。ヴォセバラミアのためにも、この戦のためにも」
「しかしそれとて容易ならざること、なぜなら、オパーラ・ナトゥーラムを手にしたバラミア人を打ち倒せるのは…」長い白髪の知恵者はそこでわざと語るのをやめ、それまでずっと押し黙っていたアクティアヌスを見た。
「オパーラ・ナトゥーラムを手にしたバラミア人を打ち倒せるのは…」アクティアヌスは知恵者の言葉の続きを引き受け「ジークの二本剣だけです。そしてジークの剣を扱えるのは、ジークハルバラードたるこの私だけです。」その場に居た全ての者の目と耳が自分に注意を向けたのを感じ取ってから、彼は続けた。「私が参りましょう、ベルダンギア峡谷へ。ナ・バラムの地下城砦へ。その役目は私でなければなりません、断固として」
「ジークハルバラード!」大斧の刃を指先で軽くなぞりながら、ヘイムグプタが言った。「同行しようぞ、この斧と共にな。」
「アクゥのみを…」ハリは思わずそう言ってから、言葉を区切ってもう一度言い直した。「ジークハルバラードのみを死地に赴かせる訳には参りますまい。むろんお供しましょう、この私も」
 アクティアヌスは両の掌をそれぞれヘイムグプタとハリに見せ、否定の姿勢を示して言った。「否、それはなりません。ベルダンギア渓谷に至るまでは数日の道のりとなりましょうし、その間もナ・バラムの攻め手は、これを緩めることはないでしょう。音に聞こえた両御武勇までがここを離れてしまわれては、誰が一体このバハラジーアを守るのでしょう」そして、しっかりとした目でヒト長を見据え「エルダリンド殿の手のもので、口達者な商人かあるいは札付きの海賊の輩を一人だけ紹介願えまいか。同行はそのものに頼みますゆえ」
 オベルザリアはまるで奥深い底なしの淵の水面が如き冷たい光を湛えた瞳でアクティアヌスを見つめ、それから我が子に語りかけるかのような声音で言った。「アクティアヌスよ…」このような席上で親身名で呼びかけるのは異例のことであった。オベルザリアは続けた。「しかし、ジークの二本剣だけではまだ足らぬぞ。打ち倒すことが出来るのは『ジークの二本剣を携えた、有限の命の者』だけ。この意味を分かっての決意であるのか?」
「知恵者オベルザリアにして、我が父に等しきものグァンタグノミヌスよ。我が攻め刀たる右の大剣ジークハルバラードと、我が守り刀たる左の小剣ジークデルグラードは共に当家代々の剣。無論全て心得ての上です。」
アクティアヌスはそう言ってオベルザリアをじっと見つめ返し、オベルザリアもまた、目線をアクティアヌスかそらさずに行った。「ネウインベーグの黒き誉れ、ヴォセバラミアの盾たる者ジークハルバラードがそう申すなら、誰も異議は申すまい。無論、私も」

 数刻の後、アクティアヌスは早くも出立の準備を始めていた。いつも身に付けている漆黒色の甲冑を脱ぎ、黒いチェーンメールを身に着けた。
「アクゥよ…」ハリが現れ、声をかけた。「なぜに拒絶した、我らの同行の申し出を」
「先に言ったとおりだ、ハリ。誰かがここを守らねばならん。そしてさっきは言わなかったがハリよ。君はサシリエルを守らねばならん」
「しかし、アクゥよ…」
「いいか、ハリ。ここに残るもかなり危険なこと、君が考えている以上にな、恐らく。だからこそ、サシリエルのそばにいて欲しいのだ、君にな」
 アクティアヌスはそう言いながらジークの小剣をまず手に取りそれを腰に帯び、続いてジークの大剣を持ち上げそれを背中に背負った。
「おまえさんがアクティアヌスかね?」
 不意の聞き覚えの無い声に二人は振り向き、見に覚えのない若い男の姿を捉えた。男の格好はここらでは見慣れない異国風だった。薄手で光沢のある黒い布地で出来た、ぴったりとした服を上下に着込んでいて、その服にはいろいろなところに箱のようなでっぱりがあった。男はまた言った。「それで、おまえさんのほうがハリーって訳だ」
 ハリは男をまじまじと見据えて言った。「誰なのか、あなたは」
「ええと、ほら。我らの長に頼まれた者さ。そこの旦那と一緒に行ってくれってね」
 アクティアヌスもまた上から下まで見渡しつつ「エルダリンド殿の手のもの? 思いのほか早くの来訪だな」
「こういうのは、早いほうがいいだろ?」
「名前はなんという?」
「やっぱり、言わんとだめかね?」
「では、なんと呼べばいい?」
「そうさね、ビューダンってことにしておこうか、ビューダン・ラヴァク。呼ぶときはビューイでいいよ」
「ビューダン・ラヴァク? では君は商人なのか? それとも海賊なのか?」
「俺は商人さ。しかも先祖は海賊だよ。おまえさんのご注文にぴったりだと、我ながら思うがね。準備ができてるんなら、とっとと出かけよう、なにしろ…」男はそこで、意味があるのかないのか、頭をがりがりと掻きながら「なにしろここには長居は無用だ」
ハリがアクティアヌスをひきとめた。「アクゥ、このような手合いと行くというのか、ナ・バラムのところへ。そもそもなぜ騎士を連れていかずに、このような…」
「ハリー、そいつは俺が説明しようか? この世界では、ヒトは誰でも多かれ少なかれ、騎士か商人か海賊だ。そして、アクティアヌスの旦那はヒトではないが騎士だ。なら、足りないのは商人か海賊ってことになるさ。このチームは世界のバランスを考えて編成されたんだよ。そうだろ?」
 ビューイの問いかけに、アクティアヌスは微笑をもって答えた。
「どうやら試験は合格したらしい。さあ、行こうぜ夜が明けないうちにな」

 月も星もない新月夜の闇にとっぷりと包まれて、アクティアヌスと見送りのハリはバハラジーアの大軍門の前にいた。ビューイは、ちょいと用事を思い出したとか言って姿を消していた。
「ハリ。私はしばらくバラミアの心の耳を閉ざすことにする。ナ・バラムと言えどバラミア人ゆえ、心の声を聞くすべはあろうからな。だから私は、この門を一歩でも出たら君の心の声を聞くことは無いだろうし、君も私に語りかけてはいけない」
「よかろうアクゥ。だがナ・バラムどもを打ち倒した後は、即座に呼びかけてくれ」
「わかった」
 そこへ、ビューイが戻ってきた。
「すまんね、しかしこれは大事なことなんだ。すっかり忘れるところだった」
 そういってビューイは、何かの小さな切れ端をアクティアヌスに手渡した。
 アクティアヌスはそれを受け取り、表裏を眺めて「これは? なにかの樹皮に見えるが」アクティアヌスは切り取られたばかりの、真新しい断面のある木片を見つめて尋ねた。
「星界儀の木の皮だよ。向こうの広場の真ん中にあるだろう? まだ小さい幹だったけどね」
「どういう意味があるのか、これに」
「そうさな、俺達商人の風習の一つだと考えてくれ。旅立ちのおまじないみたいなもんだが、これは大切なものだ」そしてビューイは真剣な目でアクティアヌスを見つめ「いいか? 絶対肌身離さずもってろよ。約束しろ、じゃなきゃ、俺はこの仕事からおりるからな」
「約束しよう」
 そう言ってアクティアヌスはその小さな薄い木の皮を懐にしまいこんだ。
 ビューイはそれをしっかりと見届けてから言った。「じゃあな、ハリー。また後でな」
 アクティアヌスとビューイはそれぞれ馬にまたがると、バハラジーアの壮麗な大軍門の脇にしつらえられた小さな隠し口から出ていった。
 それから、また数刻後、ハリの元をエルダリンドが訪れた。
「ハリサエラヴァリヌス先生、アクティアヌス先生がすでに立たれたと耳にしましたが、誠か?」
 公式の場ではないので、エルダリンドは親身名のほうで彼らのことを指した。
「いかにも、数刻ほど前に。あなたの寄越した手の者と共に」
「ああ、なんたること。どうして良くない話ほど正しくこの耳に伝わってくるのか!」
「それは、一体どういうことか、エルダリンド殿」
「いいですか、先生。私は仰せのとおり手の者を手配致しました。しかし、まだその者はここには到着しておられぬのですぞ」
「では、アクゥと一緒に出立したのは?」
「分かりませぬ。皆目見当がつきませぬ。先生、心の声でアクティアヌス先生に呼びかけてみては?」
 ハリは深いため息をひとつついた。「それはできぬ。なんなれば、アクゥは心の耳を閉ざしてしまったから」そして、彼方ベルダンギア渓谷のある方角に向かって呟いた。「アクゥよ…」

 ニュインバーグ宙域に今も伝わるこの口伝物語"ウーユ・ナ・バラム(三人のならず者)"は、 "バセーグ・イン・ヴォセバラミア・ナ・アクーァ(沈黙のバラミア姫への戦い)"の時代を背景にした英雄アクティアヌスの最後の探索物語であった。物語の伝承者たちによれば、アクティアヌスは結局その目的を遂げることができなかったという。
 その結果、バラミアとナ・バラムの戦いは激しい消耗を両軍に強いることとなり、そして彼らはこの世界を離れたのだと。
 しかし、しばしば伝承された物語は歴史的事実から大きく乖離するものであるし、場合によっては歴史的事実のほうがより一層物語的であったりするものである。
 真のアクティアヌスの旅路を語るには、ウーユ・ナ・バラムとは別の物語も必要となるのだが、ここでは今しばらく彼らの足取りを追ってみることにしよう。


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