ガリザイス・ポスト紙:星系共通暦2408-D-24
二面論説ページより(抜粋)
(前略)
いまや、この星系におけるユニオンの存在感を数字で表すと、GDP(実質域内総生産)で第八位、参加者を国民とみなした場合、人口で第六位、ガリザイスからの輸出額は年間およそ三億六千万ネビュルに相当する。この集団は、政治的にはまったく存在しないが、しかし、惑星経済学上から見れば、立派な経済国家と言えよう。また、ネビュラ・システムには、ユニオンに属さない人々もおり、これらの数は正確には把握されていないものの、彼らを加え、ネビュラ・システム全体として考えれば、その地位はさらに向上するのは間違いないところであろう。
(中略)
一つの例をあげよう、星系内のある宇宙船メーカーは、基本設計が完成した場合、まずそのデータをネビュラ・システム向けに変換して、ユニオンと取引を開始する。ユニオンは、そのデータを元に、あたかも実在の宇宙船を構築し(いや、ネビュラ・システム内では実在することになるのだが)それを探究者と呼ばれる構成員に実物として提供する。この取り引きの売上は、ネビュラ・システム内の共通貨幣で支払われるが、それは、事実上、星間通貨として認められているために、ほとんどの金融機関でネビュルに交換可能である。
これは、ネビュラ・システムの中において有用な商材をデータとして提供できるすべての企業が、もはや事実上採用しているビジネスモデルである。彼らはまず、この仮想社会で利益を得、そして実地テストに極めて近い結果を得る。しかる後に、その商材が現実のものとして、我々の本当の市場に投入されるのである。
(中略)
また、ユニオン構成員をはじめとする、ネビュラ・システム内の住人も、何がしかの仕事を通じて、利益をあげており、それらは生身としての肉体の生活を維持するためにネビュルに交換されたり、あるいは、さらなる利益のために、ネビュラ・システム内で再投資される。
かようにも巨大化したオンラインゲームは、あたかも実在する世界として、我々も無視できなくなっているのである。ある統計結果によれば、純粋にネビュラ・システムだけで生計を立てている人々は、この星系の五パーセントにものぼる、と言われている。
「ホーン。ホーンや! 朝ご飯が冷めちまうよ。早く下に降りてきなよ。」
「今行くよ、ばあちゃん。」
ホーン・ハイラズィースは、階下からの祖母の声に元気よく答えると、机の上にある通信端末にパワーオフを指示した。『ネビュラ・システム接続認証』と表示していた画面が消えうせたのを横目で確認しながら、ホーンは、ぱたぱたと階段を下りて食卓についた。
ふわふわのスクランブルエッグと、ほどよくカリカリなベーコンが三切れほど、そして新鮮なミルクと焼きたての良い香りがするパンが、ホーンを待っていた。
「ホーンや、また、あの何とかいうゲームをずっとやってたのかい?」
祖母は、自分用の熱いコーヒーをこぽこぽとカップに注ぎながら言った。
「今日は、そんなでもないよ。ちょっと無茶しちゃって、今、療養中なんだよ、僕は。」
ホーンはそういうと、こくこくとミルクを飲んで、そして、続けた。
「でも、すごくおもしろいんだよ、ばあちゃん。もちろん、学校の事も一生懸命やってるよ。でも、それとこれとは違うんだ。学校には、学校の友達がいて、ネビュラにはネビュラの友達がいるんだ。それにあれは、ゲームに見えるかも知れないけど、僕的には、仕事してるって感じ。社会勉強ってやつかな?」
ホーンは、ベーコンでスクランブルエッグをすくいあげるようにして、両方をいっぺんに口の中に放りこみ、早く話の続きをしたいと言った様子で、急いでもぐもぐしていた。
「そうそう、あのね、ばあちゃん。一番仲のいいネビュラの友達が、この星の北半球エリアに住んでるんだって。それでね、来月あたりで仕事が峠を越えるから、一回遊びにこないか、だって。勿論、僕は行くつもりだよ。ネビュラのお金を少し換金すれば、旅費は問題ないし、学校だって、今度の試験で飛び級しちゃえば、すこし暇ができるもの。ねえ、いいでしょ?」
ホーンは、そこまでいうと、くりくりした瞳をまん丸にして、祖母をじっと凝視していた。ホーンの祖母は、ちょっとだけ考えていたが、すぐに諦め顔になって、言った。
「お前がそういう言い方をする時は、意見を求めてるんじゃなく、決意を述べてる時だからねえ、ホーン。行っといで。そのかわり、行く前にちゃんと予定を教えておいておくれよ。」
ホーンは左手を振り上げて、やったぜ、といった風なポーズを取って、こう言った。
「よし! ジェズはきっと驚くぞ、僕がまだこんな小さいとは、きっと思ってないだろうからね。」
『ネビュラ・システム接続認証』と表示された、通信端末の表示装置の前で、ジェズ・アミウェイは、交差させた足の上に、組んだ左右の手を置いて、何事かを考え込んでいた。口にくわえた高級葉巻から、ゆらゆらと心地よい香りのする紫色の煙が、垂直の線を描いて立ち昇りながら拡散していった。時間の流れを感じさせるのは、その煙の動きだけだった。それ以外のジェズの部屋のすべてのものは、なにも動かず、音も発せずに、ただじっとしていた。
ジェズの部屋の壁のひとつにわずかなくぼみが生じ、やがてそれが音もなく開いて、一人の男が入ってきた。ジェズは彼の姿を認めると、ぴくりと動き、それから、ゆっくりと立ち上がって、入ってきた彼を部屋の片隅にある応接セットへと誘った。
「君も一本どうだね? マクファーソン君。」
ジェズはそう言うと、応接テーブルの上に置かれた、木製のヒュミドールの蓋を開き、中にある、チャーチル&キッシンジャーのハイグレード葉巻を勧めた。
「いいえ、私はたしなみませんので。」
マクファーソンは右掌をジェズに向けながらそう言った。ジェズはわざとらしく眉毛を吊り上げてみせ、必要以上に驚いた様子で言った。
「そうだっけ? ああ、三日前に、また性懲りも無く禁煙宣言をしたんだったね。今回こそは、君の鋼の信念が、この悪しき習慣に勝利しますように。」
マクファーソンは、くくくっと苦笑しながら、話をつないだ。
「ところで本日が、あの例のネビュラ規制法案に対する最終日なのですが。結論として、どうされますか?」
ジェズは、ふうっと煙の行方を気にしながら、慎重に吐き出して言った。
「ついでにいうと、本日が、おそらく私の任期における、最後のそれらしい仕事の日だね、マクファーソン君。ネビュラ・システムを君も体験してみたのだろう? 率直な意見を聴かせてくれないかな。」
マクファーソンは応接椅子の肘掛に右肘をついて、体を軽くそちらの方向に傾けると、指先に自身のこめかみを乗せ、ちょっと悩んでいる風な様子を見せた。
それからしばらく間を置いて、彼は話し始めた。
「我ながら自分の結論に驚いてはいるのですが。私は、あれはそのままでいいのではないか、と思いますね。ネビュラ・システムはゲームであってすでにゲームの域を超えています。あれは、複数の社会やコミュニティを内包し、それによって成り立つ生きた経済モデルを持つ、一つの立派な世界として成立しているように思われます。中毒的なものは感じられましたが、それは害悪とはいえないでしょう。なぜならば、すでに、我々の現実世界と結びついているからです。つまり、あのゲームに没頭したとしても、それは、それで現実社会に参加しているということを意味します。煙草のほうが有害かもしれませんね。」ここまで、言うと、マクファーソンはにっと皮肉っぽい笑い方をして、ジェズを見やり、そして、また話を続けた。「むしろ、規制するよりは、より容認して、連携を深めていくべきかもしれません。例えば、ネビュラ内の犯罪行為を実社会の裁きの対象に加えるとかです。ネビュラ・システム内の財産価値が現実社会と等価になるほど、これは考えてしかるべきでしょうね。もっとも、ネビュラには歴史的にゲームのルールというものがありますから、それとのバランスは十分考慮すべきでしょうが。」
にわか禁煙者に煙草のことを引き合いに出され、ジェズはいわゆる遺憾の意を表明する時の顔つきになった。
「おやおや、思った以上に多弁だね、マクファーソン君。そこまで多くの言葉で語るとは思ってもみなかったよ。長い付き合いだと思っていたが、君にはまだまだ私の知らない面が潜んでいるようだね。アウターディメンジョンで、突如、正義の味方のように現れた大艦隊の提督が、まさか君だとは思わなかったしね、あの時は。君も人が悪いな、アーサー・ゲルシュタイン君。別の名前で登録してたとはね。」
マクファーソンは、思い出し笑いをこらえながら、答えた。
「私だって、あれがあなただとは、よもや思いもよりませんでしたよ。まさかあんなところで窮地に陥っていようとはね。」
ジェズは葉巻をくわえたまま、両手を大げさに振り上げてみせて、それから言った。
「あんな短期間であんな大艦隊を持ってるなんて、こっちこそ思わんさ。君はネビュラでも成功者になったわけだ。つくづく君の手腕には脱帽するよ。おかげで、私も政治的に随分と助けられた。少し早いかもれないが、語るに多しということはない。礼を言うよ、マクファーソン補佐官殿。あとで同じことを、またどこかで言うかもしれないけど。」
そういうと、ジェズは身を乗り出して、マクファーソンに握手を求めた。そして、両者がお互いの手を握り合ったとき、ジェズははっきりとした口調で、こう言った。
「それから、ネビュラ規制法案だが。私は賛成署名をしないことにしたよ。当面、あの法案は議会に差し戻しだ。これが恐らく、私の最後の大統領権限の行使になるだろう。君が指摘した通りの側面が、ネビュラには確かにある。加えてあそこには、成功や失敗、出合いや別れ、拒絶と容認、協調と対立、信頼と裏切り、ええと、もう言葉が浮かばないな。ともかく、そういった、人生のドラマのほとんどがある。単なるゲーム内の経験といった側面を超えて、もはや副次的な人生としての意味があるように、私も感じてしまったのだよ。そこまで成長し、かつ現実と融合しつつあるゲームに対して、もはや、仮想とか現実の境目がどうしてつけられようか。」
その後、ジェズは、にっこりと笑って最後にこう付け足した。
「そうそう、ホーンが来月会いに来るそうだ。たぶんまだ若いんだろうけど、どういう人物なのだろうね。でも、彼は多分驚くだろうね。私が本当に惑星ガリザイス統一府の第八十九代大統領だったなんて、思ってもいないだろうからね。」
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