地平線の彼方から手前に向けて茫漠と広がる赤い大地を月明かりが照らしている。
やわらかに盛り上がりそしてまた沈む砂漠地方特有の大地の形が、見渡す限り幾重にも繰り返されていく。その上を気まぐれな風によって刻まれた紋様が、ゆるやかな円弧を基調とした相似形を描きながら、あたかも無限に続くかのごとく覆いつづけている。
ところどこに突き出している大きくて尖がった岩塊を見下ろすように、巨大な月が星々を従えてぽっかりと、夜空に溶け込んでいる。
大気は清々と冴え渡りおだやかな、動き回るものの形もない寂しげな、ひっそりと静まり返った砂漠の夜。ひとたび太陽が昇れば灼熱の風が吹き、太陽が沈めば極寒の静寂が支配する大砂海。ここに住むべくして生まれ育ち、ここで死すべくして覚悟を決めた生命だけが暮らせる世界。グランビア大砂海と呼ばれる砂漠地帯。
「そうだよねぇ。そうでしょうとも。」
ホーリィは粉のように細かい赤い砂を巻き上げながら進む大型トラックの運転席で、ゆるやかに流れていく代わり映えのしない砂漠の夜景色をながめながら、煙草に火をつけた。明滅する電子機器の灯りしかない運転席に、ぽうっとオイルライターの青白い炎が点り、たなびく紫色の煙の姿をうかびあがらせ、かちんという音とともにライターの蓋が閉じられると、すぐさままたもとの薄暗さがもどってきた。
「たしかにこの三日三晩かなりの距離を走ってきたけど、人っこ一人、建物の一つもみなかったもんな。で、おまえさんが網の中を走り回ってひっかきあつめてきた情報源にはこのへんに煙草屋や酒屋があるなんて話はなかったのかね?どうなんだいケイ?」
ケイと呼ばれた車載コンピュータの擬人化ソフトウェアは、音声レベルメータを上下させながら返答した。
「なにもありませんよ。なんにもね、ホーリィ。五千年くらい前まではここから北西に123キロメートルいったところに古バラミア人と呼ばれる人々が居住していて、今はその遺跡だけが残っていますけど。いってみますか?」
ホーリィは短くなった煙草の火口で二本目に火をつけ、用済みになった煙草を灰皿でもみ消けすと、言った。
「やめとこう。どのみち煙草屋はなさそうだ・・・。残り五箱は大事にしないとなあ。」
その時、突然トラックの進行方向の右手、東の彼方の夜空に真っ赤な光点が現れたかと思うと、ものすごい速度で左手に流れ、北西の岩山の影へと落ちていくのが見えた。
「なんか見えたか、ケイ?」
「ええ、周辺警戒プログラムが感知しました。時速900キロ、角度30度で前方左手15キロメートル以内に落下の衝撃波を確認。精査しますか?」
「ああ、やってくれ。現場の映像と現場までの移動時間は?」
「位置情報衛星に接続しています。落下推測点まで最適化ルートで12分。周辺空域にユニオンの監視衛星がいないために映像は入手できません。落下点に向かいますか?」
「行きで12分なら、仕事へのロスタイムにはならないだろう。行ってみよう。探求者としての遺伝子が騒ぐ。」
ホーリィのトラックは北西の岩山にむかって進路を大きく変更し、岩山へとむかった。遠くからみるとその岩山は砂の海にぽっかりと浮かんでいる小島のようにも見えた。いまやその山頂の裏手のあたりから、ゆらめく炎の赤い光が見えていた。そして燃えている、あるいはくすぶっている大小さまざまの銀色の金属片や機械部品がばらまかれながらその岩山へ続いているのがみてとれた。
「こりゃなんか航空機か宇宙船の事故だな。ヤングドワーフで登っていけるかね?」
「このトラックの登坂力で十分可能なルートがありますよ。」
「オーケー、それでいこう。あと、ヤングドワーフを中心に半径2キロメートルの探索空間を設定。探索グリッドはxyz全部1。生物反応を探知したらすぐとまれ。そして教えろ。生存者がいるかもしれない。」
「探索空間指定完了。生物探索開始します。」
しかしホーリィのトラック“ヤングドワーフ”はなんの生物反応も検知しないまま巡航速度でそのまま進み、やがて、墜落地点と思われる場所の少し手前に到達し停車した。ホーリィは左手首に通信端末を巻きつけ、煙草を一箱ひっつかみ、トラックのハッチを開きながら、
「ちょいと見てくる。ケイはここで探索範囲を処理能力全開まで広げてあたりをさらに調べててくれ。」というと、砂漠からせりだした大きな岩盤の上に降り立った。
そこかしこには道々でみた残骸よりもさらに大きな部品、ちぎれた主翼やら折れた尾翼やら、すっとんだエンジンパーツやらが散乱し、それらのほとんどはまだ炎につつまれていた。空気は落下物の炎上の余波で、日が沈んだ直後とおなじくらいの熱気を帯び、金属やら化学的に合成されたその他の物質やらが一緒くたになって燃え上がる異臭が鼻をついた。
ホーリィはアドレナリンが分泌されてくるのを覚え、煙草をくわえ、火をつけた。そしてあわてて「ケイ、引火物の反応、ないよな?」と尋ねた。
しかしケイは違う答えを返してよこした。
「3.2キロメートル東に脱出ポッドみたいなものが落ちてますよ、ホーリィ。あと、この辺には残骸しかないようです。」
「脱出ポッドに生命反応は?」
「遠すぎて心拍音や呼吸音は聞き取れません。しかし、人間の体温と同じくらいの熱源反応があります。ただし、動いてはいません。」
ホーリィはヤングドワーフに駆け戻り、運転席に乗り込むと同時にケイに言った。
「ともかくいってみよう。大急ぎでな。」
びゅうびゅうとという音にまじって、ときおりぱらぱらという音が遠くで聞こえた気がした。
彼女の沈んでいた意識はばらばらだった水中の泡が徐々にひとつに集まるように形をとりもどし、やがて明るい水面にむけて浮上を始めた。
まず聴覚がもどってきた。吹きすさぶ嵐の音にまじって、細かい砂がなにかに当たる音が遠くから聞こえてきた。ついで世界に明るさが戻ってきた。とじられている瞼の向こうには光が感じられた。しかしそれは、なにか人工的なものから出てくる温かみを伴わない光に思われた。
目をあけると、合成皮革の張られた天井が見えた。そして視覚の回復を追っかけるように触覚が戻ってきた。
彼女は自分の上に、薄くて軽い、しかし保温性は十分な布がかけられていることを知った。そして、体のところどころに痛みがあることも知った。胸元が少しだけはだけられ、電極のようなものが貼り付けられていた。左右のこめかみにも、おなじようなものがあった。左腕の上腕部に2本の細い小さな針が打ち込まれていた。針の先はチューブにつながっており、その上には透明な袋にはいった透明な液体がぶらさがっていた。
思考がおぼろげで、周囲の状況がよくわからなかった。
「お目覚めになられましたか。ご気分はいかがです?」
不意にどこかから、というか、あたり一面から、とにかく特定できない場所から声が聞こえた。しかし、近くに人の気配はしなかった。それにその言葉は、いわゆる星系共通語であって彼女の母国語ではなかったが、理解することは、できた。
「どこ、ここは?どこ、あなたは?だれ、あなたは?」
彼女はかすかに声にだした。そして、自分の唇がかさかさに乾いていることに気づいた。
「私の名前はケイ。コンピュータプログラムです。私には姿がありません。ですから、どこにいるのか、と尋ねられましても、どこにもいないとしか答えようがありません。そして、ここはトラックの居住区画です。もしかして、地点座標をお尋ねでしたか?そうであれば、ここはあなたの落下した地点から12キロメートル北に移動したところです。それよりも、お体の具合はいかがですか?あなたは私たちに発見されてから、37時間24分12秒、昏睡状態のままでした。まだ起き上がらないほうがいいとおもいますよ。それに今、ホーリィが戻ってくると思います。今あなたが目覚めたことを連絡しましたから。」
ほどなく白い軽金属でできた壁にあるハッチが開き、砂まみれのホーリィがすこしかがみながら入ってきた。
「お。起きたね。大丈夫かい?」
ホーリィは袖や髪の毛に付着した細かい砂が飛び散らないように注意深く払いながら、彼女のほうを見やった。彼女は上半身をベッドの上に起こし、灰色の瞳でホーリィを見つめていた。
「ええと、そうだな。どっから説明しようか。おれは、ホーリィ・アクティア。ユニオンの探求者だ。だけど、ここ数年、このトラックを手にいれてからは、荷物運びの仕事を主にしている。この星には三ヶ月前に来た。この星で4回目の仕事をしている途中に、偶然あんたの乗ってた航空機が落ちるとこに居合わせた。で、脱出ポッドの中であんたを見つけたわけだ。それから、衛星のトランスポートチャンネルを最大帯域使って、救命キットを転送させ、あんたの治療を行った。そうこうするうちに砂吹雪がおこって、おれたちは完全に孤立した。通信回線も含めてね。本当は近くの街まで行きたかったが、吹き溜まりにつっこんじまってね。今はちょっと立ち往生している。で、現在に至るわけだ。ええと、俺の言ってることわかる?」
彼女はベットの上で半身を起こすと、身じろぎもせず、じっとホーリィのことを見つめ続けていた。
「ケイ、彼女は共通語、分かるのかな?」
ホーリィが言うと、ケイよりも先に彼女が答えた。
「はい、わかります。」
「お。良かったよ。じゃ、話が早い。煙草、いいかな?」
彼女がうなずいたので、ホーリィは煙草を一本とりだすと火をつけた。
「わたしのガルティ、どこ?」
不意に発せられた彼女の言葉の中に、ホーリィには分からない単語がひとつあった。ケイはそれを察してかホーリィに補足説明を行った。
「ガルティというのは、荷物とかその入れ物のことです。現代バラミア語ですね。」
「ああ。荷物らしいのは、ブリーフケースのようなもんが一個だけあった。ベッドの下にあるよ。それのことかい?」
ホーリィの言葉を確認するように、彼女はベッドの下を覗き込み、確かにそこにあることを確認すると、安堵の表情を浮かべた。
「まあ、なにはともあれ、飯を食おう。あんたも腹へってるだろ?」
そういうとホーリィは、コートのポケットから、小さな袋をひとつとりだし、その袋のはしから飛び出している紐をひいた。袋には山頂に雪をたたえた山脈を背景に、羊たちを追うための杖を持った爺さんの笑顔がいっぱいに描かれていた。ひもをひかれた袋は見る間に膨れ上がり、そして徐々に温かくなりはじめた。
「といってもお客様へお出しするご馳走が簡易食品でもうしわけないがね。でも、牧童印のバランスレーションだ。味もまあまあだし、栄養価も悪くない。今、皿にいれてやるから待ってな。ああ、もし口にあわなかったら言ってくれ。別の味のを用意するから。」
そういってホーリィはロッカーの置くをごそごそとあさりはじめた。彼女はその背中をだまってみつめていた。ヤングドワーフのまわりには、さらに多くの砂がふりつもっていた。砂吹雪が去りそうな気配は一向に感じられなかった。
|